福岡宮内 - 坂本龍馬の父・八平が龍馬の江戸修行を願い出る

福岡宮内墓所
墓所

[ 高知県高知市西久万 ]

坂本龍馬は、嘉永6年(1853)3月4日19歳の時に、父・坂本八平が江戸修行を土佐藩執政・福岡宮内に願い出ちょります。

この、 土佐藩執政・福岡宮内が本日の記事の主ながです。

因みに、司馬遼太郎・著『竜馬がゆく』にゃ家老・福岡宮内の妹「田鶴」が登場するけんど、この人物は司馬遼太郎の創作で、平井収二郎の妹・加尾がモデルとされちょります。

実際、坂本家は福岡家の預かり郷士に過ぎず、小説に出てくるような関係にはないようですねー・・・・・。


福岡孝茂は文政10年(1827年)に福岡孝安の子に生まれ、通称・宮内、維新後は九内と言う。

福岡家は代々土佐藩の家老職の家柄で、孝茂は10代目を継ぎ、3000石を領しちょります。

福岡孝弟とは、一族です。

少壮の頃、土佐勤王党・武市半平太(瑞残山)の叔父になる国学者・鹿持雅澄に和漢の書を学んじょります。

小南五郎右衛門と協力しながら土佐藩第13代・山内豊熈を助け、新政輔弼の功をあげ、土佐藩第14代・山内豊惇が幼少で死去し、山内豊信(容堂)が土佐藩第15代五代藩主となると五藤主計と共に執政の職に就いちょります。

福岡宮内が藩政を統轄するようになって、吉田東洋が登用されちょります。

けんど、文久2年(1862)に吉田東洋が暗殺され藩内の体制が変わると福岡宮内は、お役御免に・・・・・。

文久3年(1863)八月十八日の政変が起こり、土佐藩も土佐勤王党の獄の弾圧が始まると、重大時局に際し、再び藩政に復帰しちょります。

元治から慶応年間は藩兵を統轄して上京、清和院門を警護し、維新後の明治2年(1869)に刑法司主務、度支局大幹事を経て引退しちょります。

明治39年(1906)80歳で、没。

参考・引用 : 「高知県人名事典」 高知新聞社




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