古代・中津の港跡 - 紀貫之も通過した


久万川から見た、古代・中津方面

[ 高知県高知市西秦泉寺 ]


古代の高知は、写真の愛宕山、秦泉寺山の麓辺りまで浦戸湾が入りこんじょって、今じゃ信じられん光景じゃけんどこの一帯は海の底じゃった。


参考/史跡・竹島跡 - 浦戸湾七島の一つ 2011.07.07にある高知市教育委員会が立てた説明板より


そこにも、しっかりと『中津』の文字がある。

かって古浦戸湾にゃ三っの津(港)があったと。

『南路史』にゃ「愛宕山は、古くは浦戸湾に突き出た岬で、この辺りを津ノ崎と呼んだという。
愛宕山の西側にあった入り江に津(港)があり、東の長岡郡大津、南の江ノ口の小津に対して、中津とも言われた・・・・・。

[ 参考・引用 ]  『日本歴史地名大系40 高知県の地名』 平凡社


現在、大津も小津も地名が残っちょるけんど、昔はその周辺まで海が広がっちょったがです。

じゃき、古代から人々は山側に文化圏を築いちょったき、古墳や遺跡、寺院などもあったがです。

吉弘古墳 - 6世紀後半から7世紀初頭 2011.12.16
秦泉寺廃寺跡 - 白鳳時代(645 ~ 710年)の大寺院跡 2011.05.19
愛宕神社古墳 - 愛宕山は古墳のある山 2010.10.06



写真は、その愛宕山から西側を見た風景じゃけんど、住宅地のある部分が中津辺りになるがです。

じゃー、何ぞ碑でもあるろーかと思い探いたんど、それらしき物はよう見つけんかったがですが、「秦地区史跡名勝案内図」に中津(古代の港)と史跡マークが記されちょり、それを参考に探いたが・・・・・。



[ 参考・引用 ]  秦地区史跡名勝案内図より


史跡マークは、秦小学校の校庭になっちょりましたき、愛宕山の西側の交番・消防署のある脇から下りた。

と言うのも、愛宕山の直ぐ西の道路から秦小学校の校庭までは、高低差が4~5mはあるがです。




車じゃと判らんけんど、自転車や歩きよったら、こういった地形の変化がよう判り、昔の人は石段があったか否かは判らんけんど、高台から港に降りて行った光景が想像出来るがです。



写真は、秦小学校の校庭を西側から撮影しちょりますが、この校庭の辺りが港じゃった場所になるがです。

写真の右側はまだ緩やかに傾斜が付いて下がっちょり、校庭のブロック塀の下辺りが波打ち際じゃったがでしょうかねー。

戦国大名で、流刑となり久万山のふもとに在住していた毛利勝永は、慶長19年(1614)の大坂城合戦の折に、愛宕山の津ノ崎辺りから八反帆の回船に乗り、ひそかに大坂に向かって土佐を脱出したという。

[ 参考・引用 ]  高知市歴史散歩:241秦地区の史跡(一)-高知市広報「あかるいまち」2004年5月号より- 土佐史研究家 広谷喜十郎


ともある。

これも、古代を偲ぶロマンの一つ・・・・・。


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