伊藤義強 - 子孫は勤王家としても活躍する 



[ 高知県高知市薊野 ]


先祖は肥後(現・熊本県)の人で、寛永年間に土佐に来て商人となり辰巳屋を起こしちょります。

伊藤義強は、その3代目で商才と努力で豪商になり、種崎にあった邸宅は幕府の巡見使らの宿舎になったと言う。

その5代目辰巳屋本家・伊藤勘右衛門中強の長男が、武市瑞山や五十嵐文吉らと交わり国事斡旋の労をとり、金銭面でもバックアップした伊藤和兌になる。

また、伊藤和兌の息子が土佐勤王党員で、元治元年(1864)7月の禁門の変にゃ、忠勇隊として参戦し重症を負い大利鼎吉の介錯の下、自刀した伊藤甲之助になるがです。

ここも、勤王一家ですねー。

[ 参考・引用 ]  『土佐の墓』 山本泰三・著




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)に、充分に御注意の事!
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