北山・七ツ渕街道を行く 2 - 嘉助道を上り望六峠へ 

嘉助道を下るルート

[ 高知県高知市北秦泉寺 ]


望六峠へのもう一つのルート「嘉助道」を・・・・・。

土方久元(楠左衛門)の生家跡前

このルートも金谷橋バス停から0.4km辺りからが街道の上り口になっちょります。

上り始めてすんぐの所には、土佐勤王党に21番目に加盟しちゅう土方久元(楠左衛門)の生家跡があり、その前を通って上って行く。

しばらく上ると、街道に鳥居が見える。

扁額もなく神社名は判らず、念のため参道奥まで行ったけんど、如何やら弘法寺の裏山の方に続いちょるようですが、お宮さんらしき物も何ちゃー残ちゃーしませんでしたき、廃社になっちょるがですねー。

街道に残る鳥居

ただ鳥居にゃ寄進したのが昭和10年・吾川郡名野川村出身の2人の名が刻まれちょった。

街道に残る鳥居街道に残る鳥居

実は、吾川郡名野川村ちゅう所は高知市から遠いがよ。

現在は、仁淀川村になっちゅう愛媛県との県境に近い場所で、此処まで直線距離にしても約40kmばーあるき、実際の距離じゃとそれ以上じゃきねー・・・・・。

それにしても不思議に思うたがは、寄進者が偶々、吾川郡名野川村出身なのか、それとも吾川郡名野川村と何か関係のあった神社じゃったのかと・・・・・。

街道脇の竹林

竹林を進み、標高150m程の所に、ちょっとした休憩場があり、此処からも高知市内が望めるポイントに出る。

高知市

残念ながら、此処から高知城は写真の右側(画面には入っていない)にある山陰になり見えれんがですが、浦戸湾の先に桂浜があり、太平洋が見えちょります。

高知市

更に、竹林を上って行くと、また鳥居が現れる。

此処も、鳥居に扁額がないき神社名は不詳で、鳥居奥のお宮さんも跡形もなくなっちょりました。

東宝映画 寺尾巡業部の寄進した鳥居

歴史写真家・前田秀徳氏が「よう見てみいや」と言うき、鳥居に刻まれた文字を見ると「東宝映画 寺尾巡業部」とあった。

東宝映画 寺尾巡業部の寄進した鳥居東宝映画 寺尾巡業部の寄進した鳥居

実は「七ツ渕神社」は、明治元年に改称された名前で、それ以前は「弁財天」と呼ばれちょったそうで、七福神のの中の紅一点・女神さんで、五穀豊穣、大漁、商売繁盛の神様として有名ながです。

それに「弁財天」は、音楽や芸術、学問全般、財宝を授ける神様としても各地で信仰されちゅうき、此処も古くから「弁財天」詣に関係して、芸能関係のお宮さんとして「東宝映画 寺尾巡業部」が鳥居を寄進したがやろーかと想像したがです。

手前の名野川村出身の方が昭和10年に寄進した鳥居のあった神社もそうじゃけんど、此処の鳥居も寄進は皇紀二千六百年とあるき昭和15年(1940)の事で、戦後、車社会になってこの街道を通る人も減り、僅か数十年で人々から忘れられて行った事になる。

時代の流れじゃき仕方がないとの一言に尽きるけんど、何時頃かは判らんけんど昔から続いちょった風習や文化の部分が、失われて行くのも残念じゃと思うがです。



この嘉助道の方が椎野道より、人通りが多いのか道は綺麗に整備されちょります。

ちょっとゴツゴツした石のある坂を上ると右側に石垣が見えて来る。

茶店跡の石垣

此処にも、かっては茶店があったそうながです。

茶店跡の石垣

やはり、茶店跡の直ぐ上の方にゃ、清水が沸き出よりました。

水の無い所にゃ人は住めんき、当然、此処に茶店があった事も頷ける・・・・・。

湧き出る清水湧き出る清水

昔は、もっと綺麗に整備され水の溜まった”こんまい(小さい)”淵のような場所じゃったそうですが、やはり人が利用整備せんもんじゃき、風化と自然に土砂が溜まって写真のようになっちゅうようです。



もう直ぐ・・・・・。

望六峠・峠の茶屋前

此処が望六峠の車道への出口で、目の前がちょうど望六峠・峠の茶屋前ながです。

このルートも、所要時間は約40~50ぐらいじゃと思います。

まあ、どちらのルートも今は忘れられつつあるけんど、歴史ある街道の一つにゃ変わりないですき。

車じゃ簡単に来れるけんど、時間がある時にでも望六峠からの眺望を見に一度上って来てみいや。

望六峠までじゃったら、ゆっくり歩いて往復2時間位ですき。


■【 参考 】 最初、歴史写真家・前田秀徳氏と七ツ渕コース「椎名道」から望六峠経由で「嘉助道」を通って下りた際にお伺いした事を織り交ぜちょります。

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