山崎平内 - 土佐尾戸焼の租の一人



[ 高知県高知市・北高見 ]


探し当てた場所は竹薮の中で、やっと長男夫妻の墓を見つけたけんど、肝心の平内さんの墓は見えん。

あるとしたら場所的に長男夫妻より前か両脇じゃろーと思い探したらと、周囲の竹や雑木を切って無造作に積み上げられた下に、家紋と”山崎平”までの墓石が一つ確認でき、「これだ!」と思い周囲を片付け土を除けたけんど、半分以上は土砂に埋まっちょりまして、掘り出すのが写真の状態が限度じゃった。

ただ、こういった光景は他の墓所でもよう見かける。

著名な有名人の周辺は綺麗にして、その伐採した廃材を他人の墓に積み上げちゅうけんど、意外とその下に重要な人のお墓が合ったりするがよ。

無縁仏じゃき、伐採した木々のゴミ捨て場にしてもエエろーと言う考えでやりゆうがやったら、常識人じゃないねー。

取り合えず、陽差しの照たるようにだけ、しちょきましたけんど・・・・・。


前置きが長うなったけんど、この人は現在でも高知県の伝統的特産品にも認定されちゅう尾戸焼の租の一人で、土佐の尾戸焼きの歴史に於いても、重要な人物じゃと思うけんどねー・・・・・・。

承応2年(1682)、土佐藩第2代藩主・山内忠義に招かれて、大坂からやって来た陶工・久野正伯に、森田久右衛門と共に入門し、尾戸焼きの陶工になっちょります。

明暦元年(1655)焼物御用を仰付けられ、元禄6年(1693)三人扶持となり、 明暦9年(1696)にゃ御目見に昇進しちょります。

宝永7年に、没しちょります。

■ 参考・引用/『土佐の墓』 山本泰三・著


能茶山窯跡 - 高知県の史跡 2010.09.20 Mon
尾戸焼窯跡 - 開窯は名工・野々村仁清の門人とされる久野正伯 2010.08.30

山崎家の先祖は摂津有馬城主・山崎左馬助を租とも伝えられちゅうそうです。

現在、山崎平内の作品は2点現存しちょるそうです。

現・高知市宗安寺が元禄4年(1691)の改築の際、不動堂の堂頂を飾った屋頂宝珠が保存されちょり県保護有形文化財になっちょります。

もう一つは、坂本龍馬にも関係する永福寺に、宝永2年(1705)山崎平内が父母の菩提のために作ったとされちゅう、陶製の位牌があるそうじゃけんど、此方も高知県指定の有形文化財・工芸品に指定されちょるそうです。

山崎家の最後になる8代目は県外に去り、大正6年に没したと記されちょります。

■ 参考・引用/『高知県人名事典』 高知新聞社




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)に、充分に御注意の事!
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