御大師井 - 弘法大師伝説

御大師井 - 弘法大師伝説
御大師井 - 弘法大師伝説

[ 高知県高知市大津 ]


場所は、歴史写真家・前田秀徳氏とちょっと大津界隈を自転車で散策した時、ご案内いただいたネタから・・・・。


土佐にも各地に弘法大師伝説ちゅうのが残っちょって、此処もその一つ。

ただ、昔からこの地にあるけんど、詳細は判りかねるということでした。

オンチャン自身も、今回、歴史写真家・前田秀徳氏にご案内いただくまで、こんな伝承史跡がある事も知らんかったがですから・・・・・。

何でも歴史写真家・前田秀徳氏が子供の頃に、この近くにあった故・橋詰延寿氏(郷土史家)の書斎に来寄った頃の記憶じゃと、もっと深くて水もあったそうですが、その後に土等が堆積しちゅうのか、単純に雑草が覆っちゅうがかは判らんけんど40~50cm程しかないようになっちょりました。

石碑は何時頃に建てられたものかは判らんけんど、下記のように刻まれちょります。

『御大師井 船戸 弘法の恵も深き清水かな 南海』

南海は「お坊さん」の名前のようです。

戻んて来て、「南海」さんを調べてみたら、「南海慧俊(なんかい けいしゅん)」と言うお坊さんが居った。

ただし、この人物と同一人かは判らんと言う事を前提に書きます。

この南海慧俊は、寛文3年(1663)に、京都・妙心寺から現・佐川町にある青源寺の大牛和尚のもとに来、大牛和尚が隠居後、第4世となった人で、貞享元年(1684)に亡くなっちょります。

■ 参考・引用/『高知県人名事典』 高知新聞社


清源寺 - 佐川・深尾氏の菩提寺として創建 2010.09.27

南海慧俊が土佐で生存しちょった期間が、明治元年(1868)からさかのぼっても184~205年前の事じゃき、オンチャン的には、石碑の南海さんは「南海慧俊」の事じゃないかと、勝手に推測しちょりますが・・・・・。

兎に角、「御大師井」の事も詳細は判りませんでした。

そんな訳で、この井戸も何れは道路拡張や何かの際に破壊されるか、井戸自体が土砂等で埋まって痕跡すらなくなるがでしょ。

残るは石碑のみになったとしても、その意味すら判る人すら居なくなるんでしょうねーと言うか、無くなるがは井戸が先か、石碑が先かじゃと思うき・・・・・。

こうして、記憶も伝承も露と消えて行きます・・・・・。


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