徳永千規 - 門下に武市瑞山・大石弥太郎・坂崎紫瀾・西山志澄がいる

徳永千規墓

[ 高知県高知市薊野 ]


幕末期の国学者・徳永千規(とくなが ちのり)は文化3年(1806)徳永伝内是之則の次男に生まれ、通称・達助と言う。

学問を好み、岡本寧浦、田内菜園に漢学を学び、加持雅澄、北川善淵に国学を学んじょります。

田内菜園の養子になった人が、武市瑞山の実弟・田内衛吉です。

岡本寧浦が江戸に出ていた一時期、代理で弟子に教え、師の北川善淵から「今や教授する者がない」とまで言われたそうながです。

郡方で赤岡陣屋に居た際、岸本の飛鳥神社の安政地震の碑の撰文をしちょります。

のち、致道館教授となる。

和漢の歴史、和歌に優れちょっとそうながです。

気骨のあった人で、板垣退助の家に招かれ教授した際、板垣退助は袴も着けず家僕に扇であおがせると言う、礼儀もわきまえなかったため、不愉快に思い二度と行かなかったと言う。

門下には、武市瑞山、大石弥太郎、坂崎紫瀾、西山志澄がいる。

因みに、西山志澄とは土佐勤皇党に71番目に血盟同志となった西山直次郎(志澄)の事で、平井収二郎の妹・加尾と一緒になった人です。

明治5年(1872)に、67歳で亡くなっちょります。

■ 参考・引用/『高知県人名事典』 高知新聞社




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)に、充分に御注意の事!
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