森山城址 - 元は吉良城主・吉良氏の支配地

土佐・森山城址

[ 高知県高知市春野森山 ]


森山城址は、春野の第34番札所・種間寺の近くにある平山形式の城址です。

今は周辺が畑になっちゅう中に、竹薮に覆われた詰め段と思われる丘状の小山部分が残っちょります。

築城年代は不明じゃけんど、土佐の戦国時代、ここらは土佐・吉良氏の所領で、この城を守っちょったがは吉良家臣団の一人・森山越後守じゃったそうながです。

天文20年(1551)に土佐南学の基礎を築いた吉良宣経が死去後、家督を継いだ吉良宣直の頃、土佐の北部からは本山氏が西部からは土佐国司・一条氏が中央に進出して来ると、状況を打開するため一条氏と手を結んだがです。

南学発祥の地 2009.10.10 

しかし、天文9年(1540)本山茂辰は、吉良宣直が仁淀川に狩猟に出かけた隙を狙い吉良城を落城させ、仁淀川にて吉良宣直を討ち取るがです。

こうして土佐・吉良氏は滅亡するが、森山城は新たに土佐国司・一条氏の支配下に入り、一条家臣となった森山越後守が守備しちょった・・・・・。

弘治3年(1557)本山茂辰に攻略され城は落ち、その後は、配下の富家刑部が城富家刑部が城監となる。

永禄3年(1560)長宗我部国親・元親は、朝倉城主・本山氏を長浜の戦いで破り、潮江城の戦いでも勝利し、朝倉城も落として行った。

永禄4年(1561)この森山城も、長宗我部軍に降伏し、その後の城監は本山氏から寝返ったのか富家刑部が勤めちょります。

『長宗我部地検帳』にゃ、森山氏の所領じゃった森山・秋山・甲殿・中島(現・土佐市)は、長宗我部元親の弟・香宗我部親泰の所領となっており、その家臣・富家刑部(富家出雲守)や中山田新介らの給地となった。

出典/『高知県の地名』 日本歴史地名大系40 平凡社




MapFan地図へ
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment