楠瀬喜多墓 - 日本で最初に女性として選挙権を要求した人

五十嵐幾之助墓

[ 高知県高知市筆山 ]


楠瀬喜多は、「婦人参政権運動」の草分け的な人で、通称・民権ばあさんと呼ばれちょります。

婦人参政権発祥之地碑 - 日本で最初に女性参政権が認められた 2010.12.11 

天保7年(1836)に生まれ、明治2年(1872)に土佐藩の剣道指南役・楠瀬実と結婚するが、明治7年(1874)年に死別しちょります。

2人の間にゃ子供がおらんかったき、楠瀬喜多が戸主として相続し納税もしよったけんど、明治9年(1878)高知県区会議員選挙の際、女性であることを理由に投票が認められなかった・・・・・。

当時の府県会規則は、「選挙資格は、満20歳以上の男子で、その郡区内に本籍を定め、地租5円以上を納める者(同法第14条)」と定められていたものの、府県会の下部組織である区町村会については郡区町村編制法に全国的な統一基準が設けられてはいなかったがじゃそうです・・・・・。

楠瀬喜多は選挙権が認められないことに抗議して税金を滞納し、同時に高知県庁へ抗議文を提出したそうじゃけんど県側は要求の受け入れを拒否した・・・・・。

そんで、内務省にまで意見書を提出した結果、この選挙での投票はかなわんかったけんど自由民権運動と結びつき、明治13年(1880)に政府より区町村会法が発布され、区町村会選挙規則制定権が各区町村会で認められた・・・・・。

こうして日本で初めて、戸主に限り、女性参政権が正式に認められるに至った。

その後、隣の小高坂村でも同様に認められた(しかし、1884年に政府が区町村会法の改正によって、規則制定権を区町村会から取り上げられて、参政権は男性のみと規定された)。

その後も女性解放運動を続け、楠瀬の名は「民権ばあさん」として知られわたった。・・・・・

楠瀬喜多 - Wikipedia


ただ、『高知県人名事典』にゃ、楠瀬喜多が女性として婦人が投票権を要求した最初であるとは書かれちゅうけんど、「演説ばあさん」と呼ばれたのは、演説をしたのではなく、ただ演説を拝聴しただけである。

また「民権ばあさん」と呼ばれてはいるが、民権運動に関わった記録は無い。

■ 参考・引用/『高知県人名事典』 高知新聞社



大正9年(1920)、84歳でみてちょります。


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)に、充分に御注意の事!
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