板垣退助墓 - 、初代・乾正信から続く墓所に眠る

板垣退助墓

[ 高知県高知市薊野 ]


板垣退助墓所入り口
階段を上って行くと、乾家の墓所があります。

板垣退助と一族の墓
土佐藩の馬廻役じゃった家柄じゃったき、大小沢山の墓が並んじょります。

周囲は全て乾姓の墓碑じゃけんど、一際大きくて真新しい墓碑が板垣退助の墓碑なが。

乾姓を板垣姓に変えたがは、戊辰戦争の時。

土佐藩の迅衝隊総督として土佐藩兵を率いて東山道先鋒総督府参謀の肩書きで従軍したがですが、天領である甲府城の掌握目前の美濃大垣に向けて出発した慶応4年(1868)2月14日が、甲斐・武田晴信(信玄)に仕えた先祖・板垣信方の没320年にあたるため、姓を変えたとか。

その背景にゃ、岩倉具視らーが「甲斐源氏の流れを汲む板垣氏の後裔であるとの家伝を示して甲斐国民衆の支持を得よ」と、助言をしたと言われちょります。

ここにゃ、初代・乾正信から板垣退助までの10代が眠っちょり、板垣退助の墓の左の墓は三番目の妻の墓ながです。

この板垣退助の墓は昭和43年に建てられた分骨墓なが。

元墓は東京の品川高源院の墓地に埋葬されたがですが、後年、高源院が移転したため、現在は品川神社本殿の裏手にあるがです。

板垣退助墓の家紋

また、全ての墓碑にゃ戦国時代から続く乾氏の家紋「榧之内十文字」が刻まれちょりますが、板垣退助だけは別に台座に「土佐桐」が彫られちゅう。

この「土佐桐」の使用は、板垣退助から用いられちゅうようですねー。


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此処は、墓地周囲が開けちょりますが、山ですき一様、ご注意ください。

[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)に、充分に御注意の事!
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2 Comments

オンチャン(とさっぽ)">

オンチャン(とさっぽ)  

Re: 姉やん へ

オンチャン(とさっぽ)">

> (若者は~岩倉具視さんと板垣退助さんが お札になってた事は知らないでしょうね\(◎o◎)/!)

時代じゃねー・・・・・(^^ゞ

2011/10/10 (Mon) 23:39 | オンチャン(とさっぽ)さん">REPLY |   

姉やん  

トップのコスモス綺麗ですネ~上下のボカシが何ともいいなぁ~

板垣退助墓所には時々行ってますのに知らない事ばかりです

いつも勉強させて頂きありがとうございます。

(若者は~岩倉具視さんと板垣退助さんが お札になってた事は

知らないでしょうね\(◎o◎)/!)

2011/10/10 (Mon) 01:00 | REPLY |   

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