中山守強 - 墓碑撰文は岡本寧浦

枝川二号古墳

[ 高知県高知市薊野 ]


今回は、墓の主・中山守強さんにゃ失礼ながら、墓碑の撰文を書いたががNHK大河『龍馬伝』にも関係があった岡本寧浦ですき、掲載した次第ながです。

中山守強の父・秀種は叔父・中山高陽の嗣となった人で、幼い時より高陽に学び画人としても知られ、堺町(現・高知市堺町)庄屋になった人なが。

子の中山守強は、父・秀種の死後、庄屋職を受継ぎ、食貨に厳潔な人じゃったそうで、市中の人々から信頼されちょったと。

また子弟を集め教えたりとしちょったそうで、人望もあったようで庄屋としては異例の帯刀を許されちょったそうながです。

寛永3年(1850)69歳で亡くなっちょります。

参考・引用/『土佐の墓』 山本泰三・著




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)に、充分に御注意の事!
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