久礼八幡宮 - 長宗我部元親家臣・佐竹義直に所縁

久礼八幡宮
久礼八幡宮

[ 高知県高岡郡中土佐町久礼 ]


この神社は、宝永4年(1707)に起こった「亥の大変」と言われる大地震・宝永地震で大津波の被害を受けちょります。

そのため社殿の柱が一本も残らんような状態にまで破壊され、古記録や宝物等も流出したき、由緒や創建等の詳細は判らんがじゃそうです。

ただ、高札にも古い記録にゃ嘉吉年間(1441-44)に社殿建立とあるき、由緒ある神社にゃ変わりないがですねー。

また、久礼城主・佐竹義直が奉納したとされる竜の剣があるとも書かれちゅう。

佐竹義直は久礼城城主で、最初、土佐西部を支配しちょった一条氏に属しちょったけんど、長宗我部元親が弟・吉良峰城主の吉良親貞に命じて調略し、長曽我部氏の配下に転じちょります。

その後、佐竹義直は長宗我部元親の家臣として活躍し、弟の上ノ加江城主・佐竹義秀の嫡男・親直(佐竹義直の甥)は、長宗我部元親の娘を嫁に迎えるがです。

この上ノ加江城主・佐竹親直は、長宗我部盛親と大阪夏の陣に参戦し討ち死するが、長宗我部元親の娘との間に生まれた子供は母と共に逃れたが、伊達勢に捕らえら母子共に仙台藩主・伊達政宗に預けられるがです。

伊達政宗は、子供の非凡な容貌を買い、仙台藩・柴田宗朝の家督を継がせ、米谷城主となっっちょります。

そして名を柴田外記と名乗り、仙台藩重臣・柴田家に仕えるがです。

山本周五郎の小説『樅の木は残った』でも有名な「伊達騒動」の関係者じゃねー

柴田外記 とは - コトバンク

1609-1671 江戸時代前期の武士。
慶長14年生まれ。
陸奥仙台藩奉行(家老)。
伊達宗勝,原田甲斐らの非を伊達宗重が幕府にうったえて,大老酒井忠清邸で対決した際,宗重を殺害した甲斐を討つ(伊達騒動)が,自分も重傷を負い寛文11年3月27日死去。
63歳。
本姓は佐竹。
名は朝親,のち朝意。


けんど、その伊達騒動の首謀者・伊達宗勝(兵部)が土佐に流罪となったのも、皮肉なことじゃねー。

伊達兵部の墓 - 伊達騒動の関係者 2010.02.21

話は反れたけんど、ここ久礼八幡宮は佐竹氏の庇護下にあったがでしょう・・・・・。

現在の社殿は文政8年(1825)に再建されちょります。

御祭神は、応神天皇・神功皇后・比売神・湍津姫神・田心姫神・市杵島姫神で、古来から久礼だけでのうて、安和(現・須崎市)・上ノ加江(中土佐町)の総鎮守で、海の守護神と漁業関係者に崇敬されちょります。

旧暦8月14日・15日に行われる例大祭にゃ、14日未明に巨大な大松明を先頭に練り進む御神穀祭が行われるがです。

子供の頃、何度か家(うち)のオバヤン(祖母)に連れられて祭礼に行って、お堂のような所に泊り込んで御神穀祭を見た事を覚えちょります。

ここ「久礼の八幡さん」の祭礼は、高知市「一宮の志那祢さん」と、中村の一条神社の「いちじょこさん」と合わせて、土佐三大祭りと言われちょります。


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