窪田真吉 - 魚の行商人でありながら勤皇の志に燃え脱藩



[ 高知県高知市筆山 ]


このお墓も、何度探し廻ったろーか。

時期は6月末。

このブログで、「墓探しに山に入る際にゃマムシ(ハミ)に気を付けて」と書いていながら、如何いても探し出したくて無謀にも訪んねて廻ったがです。

前回までと違う人の腰ほどの雑草に覆われた場所に入り、何処に墓があるのか判らんような状態の藪の中を竹で突っつきながら探すこと小一時間、やっとそれらしき墓碑を見つけ、マムシ(ハミ)に注意しながら、写真のような状態まで墓碑の周りの雑草を踏み倒したら、出て来ました。

墓碑の崩壊が進み読みづらい部分もあったけんど、「正四位」・「真田四郎幸氏」の文字のある真田家先祖と刻まれた招魂墓が・・・・・。 

高知県贈位調査では窪田真吉、山口県にある本墓は幸利、皆山集所載の維新功績者調書は幸氏とある。

窪田真吉は天保3年(1832)高岡郡仁井田郷(現・窪川)に、魚の行商をしゆう助次の長男に生まれちょります。

近在に聞こえる偉丈夫で力士・岩ヶ嶽の四股名を持つほどの相撲好きでもあったと・・・・。

また家業を継ぎ行商をしながら、郷士に混じって剣術の稽古にも励みよったそうながです。

そうした状況の中、天下の時勢談を聞くうちに、一町民の身でありながら勤皇の志に燃えて行ったがです。

最初、与津地清次と名乗り、文久3年(1863)脱藩して三田尻の招賢閣に行き、名を真田四郎源利幸と改め、元治元年(1864)禁門の変で忠勇隊に加わって戦うが堺町御門ノ戦に敗れ、再び、長州に走ったそうながです。

けんど慶応元年(1865)、長州の明正寺で切腹しちょります。

享年34歳。

『高知県人名事典』 にゃ、酒に酔って通行人を殺害し、その責任を取っての自刃と書かれちょりますが、『土佐の墓』にゃ理由不明とある。

『高知県人名事典』 高知新聞社
『土佐の墓』 山本泰三・著




[ 注意! ]

■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ・ヤマヒル・ヤマダニ・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。

特に3月~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシに、充分に御注意の事!
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