岡本寧浦 - 私塾を開き多くの志士たちにも影響を与える





[ 高知県高知市薊野北町 ]


岡本寧浦(おかもと ねいほ)は、寛政元年(1789)に安芸郡安田浦(現・安田町)の浄土真宗乗光寺の寺の息子として生まれちょります。

寺の息子ですき、最初は僧侶の道を学ぶため、上京して本願寺で仏典を学んだようじゃけんど、甥の立然に寺を譲って還俗し、京都や江戸で儒学を学び、安積艮斎(あさか ごんさい)・佐藤一斎・篠崎小竹・大塩平八郎らと交流しちょります。

その後、備後・福山藩に藩儒として招かれちょりますが、天保9年(1838)土佐藩第12代藩主・山内豊資が岡本寧浦の事を知り、「土佐出身の大学者が他藩に採用されちゅうがは土佐の名折れ」として福山候に掛け合い、用人格上下3人扶持を賜り、教授館下役に取り立てられちょります。

また高知城下新町に私塾・紅友社を開き、後に土佐藩第13代藩主・山内豊熈とともに南学中心だった土佐藩内の儒学に陽明学を導入する事にも貢献したそうながです。

弘化3年(1846)に辞職し、私塾経営に専念し、門弟にゃ森田梅礀・岩崎弥太郎・岩崎秋溟・中江兆民、清岡道之助、河田小龍など幕末に名を残した多くの門弟がおり、その総数は千人を超えちょったと・・・・・。

また、樋口真吾・武市瑞山(半平太)・鹿持雅澄・吉田東洋・間崎哲馬らーとも交流を持っちょったそうながです。

NHK大河「龍馬伝」の中で、岡本寧浦の塾に岩崎弥太郎が居るシーンがあったのを覚えちゅうろーか。

実は、岡本寧浦の妻「とき」は、岩崎弥太郎の母の姉になるがですき、伯父・甥の関係になるが・・・・・。

嘉永6年10月(1853)、60歳で亡くなっちょります。

写真じゃちょっと判らんかも知れんけんど、墓碑はこじゃんと太いがよ。

これも、門弟たちが運び上げたがじゃそうです。

ぎっしりと彫られた墓碑の述文を書いたがは、親交のあった「安積艮斎」の名がある。

因みに、安積艮斎は寛政3年(1791)に生まれた幕末の朱子学者で、江戸で私塾を開くがですが、門人帳に記載されちゅうだけでも2282人も居り、その中にゃ、小栗上野介・岩崎弥太郎・木村攝津守・清河八郎・高杉晋作・谷干城・吉田松陰などの名があり、多大な影響を受けた事は言うまでもないろーねー。

『高知県人名事典』 高知新聞社
岡本寧浦 - Wikipedia:




[ 注意! ]

■ 墓探しで山に入る場合は、季節によっては、マムシ・ヤマヒル・ヤマダニ・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。

特に3月~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシに、充分に御注意の事! 
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