川田小一郎誕生地 - 岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社の基礎を固める



[ 高知県高知市元町 ]


以前にも御紹介しちょります川田小一郎生誕地碑じゃけんど、久しぶりに前を通ったら、碑が元の位置から少し東よりに移され、御覧のように開放感があり人目に付きやすい場所に移設されちょりました。

地元の偉人を、通りすがりの多くの人に見てもらえるようになって、こじゃんとええことじゃねー。

人物像は前の記事に記載しちょりますけんど、追記で書くと、岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社と共同運輸の競争を収拾させ、明治18年(1885)両者を合併させた立役者の一人ながです。

共同運輸ちゅうがは、三菱の台等を快く思うちゃーせんかった、長州の井上馨と渋沢栄一らが、三井財閥などの反三菱財閥勢力が投資しあって作った船会社じゃったがです。

日本郵船の会社のマークは、元々は坂本龍馬の海援隊旗と同じ白地に2本の赤線で「二引」じゃけんど、今日、日本郵船のマークの意味合いは、郵便汽船三菱会社と三井系国策海運会社・共同運輸の対等合併の意じゃそうながです。

また、今ではポピュラーになっちゅう「男爵薯」は、息子の「川田龍吉」が父・小一郎のあとを継ぎ男爵となり、彼が種芋を導入し函館の地で栽培して広く普及させたことから付けられたネーミングながです。

すべて、ルーツは土佐から始まっちゅうがやき。


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