槙村浩墓所 - プロレタリア詩人



[ 高知県高知市平和町 ]


槙村浩(まきむら こう)に関しては、以前、下記の記事で御紹介しちょりますき、詳しくは省略します。

幼少より文才に優れ神童として知られちょったようで、小学4年生の時「支那論」を書き、当時の皇族の一人じゃった久邇宮朝融王と言う人が高知を訪問した時、「アレキサンダー大王」を論じたと・・・・・。

それに大正12年(1923)小学4年の時、2年飛級で私立・土佐中学校(現・土佐高校)に入るけんど病気休学しちゅうがやけんど、昭和2年(1927)に県立・海南学校(現・小津高校)に進学とある。

かなり頭が良かったがですねー。

此の部分をあえて書いた訳は、病気療養後に県立・海南学校(現・小津高校)に進学出来たがは、郷土史家・寺石正路先生の世話によるもんじゃと書かれちょったからながです。

『高知県人名事典』 高知新聞社


近代の人じゃけんど、『高知県人名事典』に掲載されちょったき、ご紹介まで・・・・・。


[ 注意! ]

■ 墓探しで山に入る場合は、季節によっては、マムシ・ヤマヒル・ヤマダニ・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。

特に3月~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシに、充分に御注意の事! 
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