細川潤次郎生誕地 - 皇后が見た龍馬の霊夢の和歌を詠む



[ 高知県高知市桜井町 ]


桂浜にゃ、皇后が見た坂本龍馬の霊夢の和歌を詠んだ、細川潤次郎の忠魂護皇基之碑がある。

それ以外にも、数々の碑文を書いたりしちょるようです。

細川潤次郎は、天保5年(1834)土佐藩に仕える儒学者の家に生まれ、幼い頃より、間崎哲馬や岩崎馬之助(岩崎弥太郎の従兄弟)とともに「土佐の三奇童」と称せられたそうながです。

家学を学び藩校でも優秀な成績を修め、長崎で蘭学んじょります。

安政5年(1858)江戸に出て、勝海舟の門下として海軍操練所で学び、(ジョン万次郎)中浜万次郎にも英語を教わっちょります。

土佐に帰国後、吉田東洋に認められ山内容堂の侍読及や藩校教授として洋学を教え、福岡孝弟らと共に土佐藩の新しい藩法である「海南政典」・「海南律例」の編纂をもしちょります。

維新後は、新政府に出仕して、民部省・工部省と移り、明治9年文部省・元老院と移り、明治23年、国会開設後は貴族院議員、翌年は副議長を務めちょります。

その後、枢密顧問官に任じられてからは皇族に関連した顕職に付き、明治天皇の詔勅や重要文書の起草、法令制定に関与する事が多かったとか・・・・・。

大正12年、90歳で天寿をまっとうしちょります。

『高知県人名事典』 高知新聞社
細川潤次郎 - Wikipedia




MapFan地図へ
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment