小畑孫三郎 - 土佐勤王党に22番目に加盟



[ 高知県高知市小高坂 ]


小畑孫三郎は天保8年(1837)に郷士・小畑美穂の三男として生まれ、名を和、後に正路。

兄の孫次郎、弟の五郎馬と川田乙四郎も、みな土佐勤王党に加盟しちょります。

小畑孫三郎が、土佐勤王党に加盟したがは22番目で、文久2年(1862)6月に藩監察使となって弘瀬健太や河野万寿弥らーと京に出、三条実美や中山忠能らと接触し、藩主・山内豊範の参勤交代の際に令旨を出して貰う裏工作し、国事周旋 の内勅を受けちょります。

文久3年(1863)1月藩命で京に出、6月に藩命により土佐へ帰国しちょりますが、八月十八日の政変(堺町御門の変)で土佐勤王党に対する弾圧が始まると、9月に山田獄舎に投獄され、慶応元年(1865)兄の孫次郎や森田金三郎、島村寿之助らーと永牢処分を受けちょります。

けんど、牢内で病気となり、慶応2年(1866)9月に苗字帯刀を召し上げられ仮出獄をするがですが、その僅か3日後の慶応9月21日に、32歳で病死しちょります。

『高知県人名事典』 高知新聞社
『土佐の墓』 山本泰三・著


歴史写真家・前田秀徳氏に、ご案内していただきました。




[ 注意! ]

■ 墓探しで山に入る場合は、季節によっては、マムシ・ヤマヒル・ヤマダニ・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。

特に3月~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシに、充分に御注意の事!  
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