馬詰親音誕生地 - 名奉行であって土佐に製糖業を興す



[ 高知県高知市追手前2丁目 ]


高知城の東にある、土佐女子高校の北東角にある体育館の角の辺りに、馬詰親音誕生地碑がある。

道路側から見えるけんど、碑自体はフェンスの内側にあるき、ちょっと見苦しいがよ。

こんな状態じゃき、此処もあんまりパッと見、気が付かんがよ・・・・・。


馬詰親音(うまづめ もとね)は、寛延元年(1748)土佐藩士・馬淵権右衛門親良の次男として生まれ、土佐藩中期の名奉行で歌人じゃった人ながです。

早死にした兄に代わり後を継ぎ、土佐藩第九代藩主・山内豊雍、第十代・山内豊策に仕えちょります。

町奉行や教授方頭取を勤め、天明の改革に活躍しちゅう。

また寛政元年(1789)にゃ、武蔵川崎で製糖技術を学び、土佐に持ち込み、製糖業を確立しちょります。

井戸を掘ったり、社蔵を建てたりと都市政策にも熱心じゃったそうです。

和歌を嗜み、土佐歌壇の重鎮でもあった。

[ 参考・引用 ] : 「高知県人名事典」 高知新聞社


昭和27年に郷土史家・橋詰延寿先生が書かれた『土佐史談 80-81号』の「土佐事物誌」という記事にゃ、面白い記事が書かれちゅう。

享和年間(1801-03)に、城下の吉田屋亀助と言う人に資本を貸いて、貨本屋を開業させた・・・・・。


これが高知での貸本屋の始まりじゃと言うがです。

そんなに昔から、貸本屋があったがや・・・・・知らんかった。・・・・・w(゜o゜)w オオー!

文化4年(1847)60歳で亡くなっちょります。


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