史跡・竹島跡 - 浦戸湾七島の一つ






[ 高知県高知市南竹島町 ]


「島?・・・・これは、ただの岩ではないですか・・・・。」と言われそうじゃけんど、中世の土佐の頃までは、立派に島じゃったがです。

それが、近世までの間に繰り返された地震による地形の変動や、河川から流れ込む土砂などが堆積して、現在のように陸地になっちゅうがです。

それが証拠に、鹿持雅澄が、紀貫之の書いた『土佐日記』の地理的考証した『土佐日記地理弁』にゃ、約1000年以上前の中世の浦戸湾内周辺を再現した地図があるけんど、そこにゃ、海に浮かぶ竹島が描かれちょります。

幾つか説はあるけんど竹島は、大島(現五台山)・葛島・田辺島・洞ヶ島・比島・玉島などを称した浦戸七島の一つじゃったがです。

今見たら、確かにただの岩と言われても仕方ないようながですが、姿形は変わってしまっても、此れが竹島の名残なが。

これでも立派に高知市の史跡 竹島跡に指定されちょり、高知市の文化財情報 史跡 竹島跡 - 高知市公式ホームページに下記のように書かれちゅう。

桟橋地区に作られた競馬場や、堤防、宅地等の埋め立て工事のために削り取られてその形を失い、現在の姿になった。


高知に競馬場が出来たがは、大正5年(1916)に高知市桟橋通りに800mの馬場を建設したがが始まりじゃき、今から百年ほど前までは、まだその姿をとどめちょっと言う事になるがです。

因みに、高知城百景 - 第4景 2011.07.06の愛宕山は、『土佐日記地理弁図(写真下)』の中津と書かれた右に突き出た半島の辺りながです。


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