取り壊された植木枝盛邸は、元は谷干城邸じゃったと・・・・・2



先日、ブログを通じて親しくさせていただいちゅうNさんから、解体され更地になっちゅう植木枝盛邸跡にポツンと残る井戸の写真を送っていただき、おおよそ解体作業が終了した事を知ったがです。

早々に、更地になった状況を記録に残すべく、写真を撮りに行っちょりました。

上は、更地に残った井戸。

下は、解体前の在りし日の状態。



この写真は、2011.03.25に撮影した井戸を含めた写真ながです。

この井戸の水を、谷干城も植木枝盛も使いよったがですねー。

残念ながら、何時の日か、この井戸も埋め戻され、跡形も無なる運命じゃろーねー。

[ 高知県高知市桜馬場 ]





表玄関側の、解体前後の写真。

植木枝盛が住んじょったがは、玄関側じゃのうて、その左側(西側)の建屋(下の写真)じゃったそうです。




解体前にゃ、壁に貼り付けられちょった町名表示も、取り外されポツンと置かれちょります。




解体前後の庭を、粗、同位置から撮った写真です。

冬場見た時にゃ、枝を落とされて少し冬枯れしちょった庭木も、葉も色濃くし立ち尽くしちょります。

何れ伐採されるであろう運命に対し、物言わぬささやかな抵抗のように・・・・・。


取り壊された植木枝盛邸と隣接しちゅう東側にゃ、かって谷垣守・真潮邸があった。

現在、その邸もないけんど、唯一存在しちょった事を示す「史蹟・谷垣守・真潮邸跡」と言う石碑が、江ノ口川沿いの道路に面した場所に建っちょります。


ちょっと、谷家の系図を調べたき、それも書いちょきます。

谷垣守にゃ3人の子供がおり、眞潮・垣雄・好井と言う。

長男・眞潮が本家を継ぎ、3男・好井の孫になるがが、谷干城ながです。

ですから、谷干城から見たら谷垣守は祖祖父・・・・・。

じゃき、谷一族の敷地じゃったろう場所の一角に、一時期、谷干城が住んじょったとの伝承があって、先人の偉大な郷土史家・平尾道雄先生らーは、谷干城との関連性を言いよったそうながです。

今回襖の裏貼りから発見された手紙などが、いづれ自由民権記念館に展示された時にゃ、詳細も明らかになる事を信じて、この話は此処までと、しちょきます。


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