山川良水 - 上士にあって尊皇攘夷派から討幕論者へ



[ 高知県高知市三ノ丸 ]


天保7年(1836)土佐藩馬廻・山川孫次郎幸寿の嫡子として生まれ、通称・左一右衛門または九太夫、明治維新後に良水(よしみ)と名乗る。

坂本龍馬は天保7年(1836)生まれじゃき、龍馬より1歳年下になるが。

一芸に長ずるより諸芸を試みんと普く武技を学び、読書を好み目を政治に注ぐ。

安政元年(1854)土佐藩第15代藩主・山内豊信の側扈従(小姓)となり、安政4年(1857)江戸在勤中に尊攘論に傾く。

文久元年(1861)武市半平太が土佐勤王党を結党すると、上士であったがために参加はせんかったけんど、各郡奉行在職中は、土佐勤王党員を登用しちゅう。

また上士の中でも尊皇攘夷派と言われた、本山只一郎・佐々木三四郎(高行)・谷守部らと独自のグループを創り、先輩格になる平井善之亟・小南五郎衛門の意見を聞き、勤王に尽くしちょります。

慶応3年(1867)山内容堂に付き従い上京した際、禁を犯して中岡慎太郎と交流し、討幕の論に同調。

戊辰戦争の東征にゃ、大目付として参加し、翌年中老職、中老格になる。

維新後は、村社神官・県社祠官・国幣社神官・権少教正など神事職に尽くす。

明治38年 70歳で天寿をまっとうしちょります。

「土佐の墓」 山本泰三/著
「高知県人名事典」 高知新聞社

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