琴平神社 - 684年の白鳳大地震で沈んだ黒崎之宮を再建・遷座



[ 高知県南国市里改田・琴平山 ]




左が本来の表参道で、石が敷き詰められた急勾配の登り坂で、苔も生え滑り易い。

右は本殿裏側からの石段で、後世に付けられた参道じゃないろーか。



いつもの事ながら、「確認をするにゃ本道を行け!」で麓に自転車を止め、表参道を足元に気を付けながら上り詰めたら、立派な社(やしろ)があったがです。

此処は、南国市里改田の琴平山と呼ばれる標高が約70m程の山の上にある、十市の金毘羅さんとして知られちゅう琴平神社ながです。

祭神は本来は大物主神じゃけんど、維新後に崇徳天皇も合祀しちょります。

こじゃんと古い話じゃけんど、創建は、なんでも天智天皇の時代(正式即位668-672年)に、五穀豊穣と民の幸福を願って、黒田郡に黒崎之宮を建てたがが始まりじゃと言うがです。

その後、天武天皇の白鳳13年(684)に、世に言う白鳳の大地震が発生し、あっと言うまに神社も海中に没したと言われちょります。

この時の白鳳の大地震は、この間の2011年3月11日に発生し大被害を出した「東日本大震災」と同規模か、それ以上じゃないかと言われちょり、有史以来、日本史の確かな記録として残っちゅう東海・南海・東南海連動型地震と推定される地震としては最古の地震じゃったがです。

この地震で沈んだ幻の黒田郷は、現在の土佐湾の「東は室戸岬より西は足摺岬に達する一大地積にして黒田、黒土、上鴨、下鴨の四郡に分石高二十六万石程の地なり」とあり、広大な大陸が一瞬にして海中に没したと伝わっちゅうが・・・・・。

場所的にゃ、須崎の沖から、南国市の十市の沖辺りとも言われちゅう。

実際、オンチャンも子供の頃、母親から須崎の野見周辺にゃ、古来よりの言い伝えによると「野見千軒、戸島千軒」と言うような大規模な集落があって、地震で沈んじゅうと聞かされちょりました。

戸島辺りじゃ、漁をすると網に土器などが引っかかって来たと・・・・・。

それに定かじゃないけんど、何でも野見や大谷の山の上にゃ、発掘も調査もされちゃーせん古墳らしき遺構もあるとか聴いちょります・・・・・。

まあ、信憑性云々は専門家に任いちょいて、単純に当時の土佐の中でも栄えちょった場所の一つじゃったと。

この幻のムー大陸。

いや (^^ゞ  、黒田郷に関しちゃー、須崎の郷土史家・古谷好弘氏のブログ「委員長の部屋」に詳しゅうに書かれちょりますき。


白鳳の大地震の事を記した、日本史の中の最古の記録にゃ、次のように書かれちゅう。

日本書紀 第29巻
天武13年10月14日(684年11月29日・白鳳の大地震の記述)

天武天皇十三年冬十月

壬辰 逮于人定 大地震 挙国男女叺唱 不知東西 則山崩河涌 諸国郡官舍及百姓倉屋 寺塔 神社 破壌之類 不可勝数 由是人民及六畜多死傷之 時伊予湯泉没而不出 土左国田苑五十余万頃 没為海 古老曰 若是地動未曾有也 是夕 有鳴声 如鼓聞于東方 有人曰 伊豆嶋西北二面 自然増益三百余丈 更為一嶋 則如鼓音者 神造是嶋響也


・・・・・人定(人の寝しずまる時刻)になって大地震が起こった・・・・・。
土佐国の田苑(でんえん:田や畑)五十余万頃が沈んで海となった。
古老が言うにゃ、こんなに地面が動いた事は、未だかつてない事じゃった・・・・・。

また、幕末から明治初年に編纂された土佐の郷土史・皆山集にも、下記のようにある。

土佐国黒田ト言ハ、是ヨリ南ニ有リ。
此ノ地ヨリ七里バカリ沖ニトッコウノ峯トテ、東西大河ヨリ流出ル川裾 長埜、常磐両村ノ間ニ有リ。
此所ニ黒崎ノ宮トテ五穀御祭ノ御宮ナリ。
有ル時 日数三十日大雨フリ、東西ノ河々ヨリ洪水出。
黒田大埜大海ノ如クナリ、
其ノ翌日、大地震シテ、終ニ南海トナル。


土佐の国にあった黒田郷は、現在の陸地から約30km程(古代と現在の1里の距離は違うろーけんど)沖合いにトッコウノ峰があって、その東西を大河(現在の仁淀川と物部川か・・・・)が流れよった。
その山裾にゃ長埜と常磐と言う村があり、その両村の間に黒崎ノ宮があった。
ある時、30日程にも及ぶ大雨で二つの大河が氾濫し洪水が起こり、たちまち浸水し海のようになった。
その翌日に白鳳の大地震が発生し、土佐湾に沈んだ。

それぞれに地盤沈下の様相の表現は違うし、沈んだとされる面積も違うけんど、兎に角、凄い地震が起こって、土佐湾が陥没したと言うよりゃ、部分的に数メートルか数十メートルか判らんけんど、地盤の隆起や沈下が起こったがでしょうねー。


いつもの事で前置きが長うなったけんど、話は黒崎之宮に戻って、地震後(年代不明)に浜改田神田に再建し金毘羅大権現として祀った。

その後、寛永18年(1641)に現在の琴平山の上に遷座され、臥龍山金毘羅大権現と言いよったそうじゃけんど、明治元年(1868)琴平神社となったそうながです。

ついでに、与太咄を一つ。

実は、ここの琴平神社は讃岐の金比羅さんよりも古いと言う話もあるが。

また何れ紹介するとして、五台山の東麓に金毘羅神社があって、金比羅さんの原点はこのお宮さんじゃと言う話が、NPO 牧野の森 - 五台山案内「金毘羅神社」:にも書かれちょります。

以下、全文引用

屋頭地区のほぼ中央南の石段を百段余り上がり、田所神社の前を通り右に折れ少し行くと右手に大石を積み上げた高さ1メートル余りの塀に囲まれて、奥行き18メートル、間口9メートルで境内の正面に鳥居があり、さらに参道を8メートル余り進むと、4メートルx4メートルのお社が鎮座している。
祭神は「大物主之命」と言われ神亀元年(724)の僧行基が竹林寺を開基された際、鬼門を守意味から遷座せられたものと言われている。祭日は、3月、10月の各10日で、昔から屋頭地区民に尊敬され、代々よく管理されてきた。十市の金毘羅はこの神社の神霊を分け移し、讃岐の金毘羅神社は十市の金毘羅から分け移したと言う極めて雄大なる口伝が残っている。


まあ、この話は遷座したと書かれちゅうき、神亀元年(724)に、元あった場所(それは何処か判らんけんど)から移し替えたと言う意味なが。

そんで、元々の金毘羅神社が何時創建されちょったがかも判らんがやき何とも言えんけんど、ホントかも嘘かも知れん話の中にも、土佐にゃ、こじゃんと「浪漫がある話があるろー」と言う事を言いたいがよ・・・・・!(^^)!

それに金比羅さんちゅう神さんは、宮比羅(クンビーラ)言うて、元は、ガンジス川に棲む鰐を神格化した水神で、日本では龍(竜)や蛇とされる海や水の神さんながでして、インドから来た渡来神ながよ。

そんで船乗りらーに信仰されるようになって、呼び名は違うても琴平神社や金毘羅宮に金毘羅権現社として、全国各地に建てられ信仰されちゅうがです。

そう言う経緯からしても、渡来のルーツは、瀬戸内じゃのうて太平洋側の土佐湾に黒潮に乗って伝えられたと考えた方が、利に叶うちゅうけんど・・・・・本当の所は知らん!!!(^^)!



立派な扁額で、上下の彫刻も素晴らしい。



扁額の上にゃ、鳳凰が舞いゆう。



下は、霊獣・麒麟じゃないろーか・・・・・。



拝殿内部と、木鼻の獅子



左は神亀、右は一角の犀のように見える。



本殿の彫刻も素晴らしい。



拝殿右側にあった建物で、屋根廻りは新しいけんど、彫り物の方は風化によって褪せ、古そうな神仙図が彫られちゅう。

これが、いつぞやの台風で屋根が崩れた絵馬堂の再建された姿じゃろうか?




龍と猿、それとも子供かな?、それに二匹の兎

気のせいやろか・・・・・図柄と言い、彫り物の感じが、潮江天満宮の楼門の彫に似いちゅような・・・・・・。



拝殿に架かっちょった絵馬



社の西側は、可なり広い広場のようになっちょりまして、写真は、そこから社殿の方を見ちょります。



広場からは、樹木の間より十市の海(土佐湾)が見えちょり、黒田郷は、ここから見える青海原の下に沈んじゅうと言われちゅうがです。


此処からは、何時もの愚痴を・・・・・。

それにしても、ここも可なり傷んじょります。

ちゃんと修復なりせんと、大事な文化遺産が、日々朽ちかけて行きゆう。

難しい話になるけんど、政教分離の原則がある以上、こう言った神社仏閣等の修復等に関わる費用などは、文化財保護法で保護対象にでもならん限りは公費が使えんがやと・・・・・。

けんど、そりゃー違うろーと言いたい。

本来は、その土地土地で、古来より守り伝えられて来た大事な「日本人の魂の拠り所」ぜよ。

それに誰の物んでもない、日本人みんなーの共通の「根源」の筈やに・・・・・。

ここの琴平神社じゃだけじゃのうて土佐にある幾つかの神社も、昔から長宗我部や山内家などが、社殿の造営や寄進をして庇護(保護)し、明治維新まで守って来ちょったがよ。

それも、見方を変えたら藩が公金を使って、何百年も守って来たがやか。

今日、公費が注ぎ込めないとなると、地元の寄付や、お賽銭だけじゃー、保存も何も、ままならんがやか・・・・・。

参拝客が多い有名な神社仏閣はえいろう。

小さな所は如何するぜよ。?

土佐だけじゃのうて、日本全国にある、こう言った保存するのに値する文化遺産が、悲鳴をあげゆうがが現実よえ。

嘆かわしいのー。


「みなの衆、ワシらーの家(社)が朽ちかけちゅう。へんしも修繕しちゃーくれんかのー。頼むきに・・・・・。」

と神さんの声が聞こえて来そう・・・・・!(^^)!


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2 Comments

オンチャン(とさっぽ)">

オンチャン(とさっぽ)  

Re: おりがみ さんへ

オンチャン(とさっぽ)">

> おんちゃんさんのおっしゃるように暮らしに身近でもっとも小さなささやかなものにこそ守るべき価値や命はあると思いますよ。

そうよ!、まっこと、それが一番大事な事やけんどねー。
どうも、ならんねー・・・・・(^^ゞ

> あと、この記事の「地盤沈下」というキーワード。・・・・・・・

東北地震以降、各市町村で真剣に取り込みゆうように、ニュースじゃ流れゆうけんどね。
そうは言うても、やはり海岸部の人らーは心配じゃと思うぜよ。
特に、高台に逃げるにしても、高齢者の多い土地柄、どうするがやろーと思がよ・・・・・。

それに高知市内も例外じゃのうて、次の地震じゃ中心部は1~2mの地盤沈下を起こすうえ、鏡川・国分川・江ノ口川らーから堤防を乗り越えてくる津波で、市街地は数ヶ月2m程、浸水するとも言われちゅう。

南海地震に備えてGOOD!!-高知県予想津波検索-:
http://www.pref.kochi.lg.jp/~shoubou/sonaetegood/flood/n/index.html

上記のような津波浸水深図と言うががあるけんど、次の地震は過去の地震より規模が大きいとも言われちゅうき、今回の東北地震を教訓に、高知市の防災の有り方も再検討せなー遺憾と違うろーかねー。

2011/06/20 (Mon) 20:50 | オンチャン(とさっぽ)さん">REPLY |   

おりがみ  

大事なことです

効率優先できた現代ですからね・・。

おんちゃんさんのおっしゃるように暮らしに身近でもっとも小さなささやかなものにこそ守るべき価値や命はあると思いますよ。

あと、この記事の「地盤沈下」というキーワード。
南国や須崎など土佐湾、海岸エリアの防災ってどうなってるのか本当に気がかりです。
高知市なり県の方は東北三陸にきっちり視察にゆかれているのでしょうねl?

2011/06/20 (Mon) 10:28 | EDIT | REPLY |   

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