一圓東海 - 土佐銅印の始まり



[ 高知県高知市横内 ]


墓碑にゃ、天保八年酉年6月 65歳とありますき、明和9年=安永元年(1772)頃に生まれた人で、名を和鼎、字・君実、号を魚遊園と言うがです。

幼い頃、筑前の亀井道載(南溟)に経史(経書と史書)を学び、青山胥山から篆刻(てんこく)の技術を習う。

ついに、銅印鋳造の方法を発見、高知城下水道町の鍛治工・半左衛門に鋳造方法を教え、土佐銅印がここに始まる。

晩年、放逐にあい安芸郡伊尾木村(現・安芸市伊尾木)に蟄居する。


因みに、亀井道載(南溟)は儒学者・医者で、筑前(福岡県)の人。

彼の名前は知らなくても、福岡の志賀島で発見され、現在、国宝になっちゅう金印は知っちゅうろー。

日本史の従業で習うちゅうはずじゃけんど・・・・・。

天明4年(1784)に、志賀島の畑の中から金印が発掘され、奉行の津田源治郎を通して南冥に鑑定が依頼された。
南冥は「後漢書東夷伝」の中元2年(AD57)1月の記事として光武帝が倭国から来た使者に金印を授けたという記事があることからその印であろうと鑑定した。
結果、金印は福岡藩が預かることとなり、現在は福岡市博物館に展示されている。

引用・転記 : 亀井道載(南溟)


参考・引用 : 「高知県人名事典」 高知新聞社




[ 注意! ]

■ 墓探しで山に入る場合は、季節によっては、マムシ・ヤマヒル・ヤマダニ・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。

特に3月~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシに、充分に御注意の事!  
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