伊藤蘭林記徳之碑 - 勤王の志も厚く・・・・・




[ 高知県高岡郡佐川町 ]


伊藤蘭林は、文化12年(1815)に生まれ、名は徳裕、通称・隆助と言う儒学者で教育者なが。

和漢の学に精通し、天文、暦学、書法から武道全般に精通し、詩歌をよくし、文章も優れており、深尾家に仕え儒官となり、郷校名教館や私塾で教えること50余年じゃったと言う・・・・・。

当時の佐川の学徒で、伊藤蘭林の教えを受けちゃーせんもんは居らんかったとも言われちょり、勤王の志も厚い人じゃっただけに、幕末期においては田中光顕や多くの勤王の志士にも影響を与え、維新後においても自由民権運動で活躍した人物や、牧野富太郎らを育てちょります。

田中光顕墓 - 中岡慎太郎亡き後の陸援隊を率いた一人 2010.11.24
田中光顕邸跡 - 勤王屋敷跡 2011.04.18
牧野富太郎墓 - 近代植物分類学の権威 010.11.26

牧野富太郎 - 日本の植物学の父 2009.04.04

慶応4年(1868)1月11日、土佐藩に朝廷から松山征討の令が下った際にゃ、佐川より鎧を着て出陣した話は有名・・・・・。

気骨のある人物じゃったがですねー。

因みに、松山征討ちゅうがは、明治維新の鳥羽伏見の戦の際、松山藩と高松藩両藩が幕府側に加担しちょった事から、朝廷が両藩討伐の命令を土佐藩に下したがです。

伊藤蘭林は明治28年、81歳でみてちょります。

この碑は、元は明治29年に門弟達によって霧生関峠に建てられちょったがですが、現在は、田中光顕邸跡地にある勤王屋敷跡とも呼ばれちゅう公園内に移築されちょります。

参考・引用 : 「高知県人名事典」 高知新聞社




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