丸岡莞爾 - 龍馬の志を継ぎ、尖閣に国標を建てる事を要請



[ 高知県高知市筆山 ]


丸岡莞爾は、天保7年(1836)久万(現・高知市久万)に吉村三助の長男として生まれ、通称は吉村三太と言うがです。

その後、旧制の丸山姓に戻いた時、名も莞爾(かんじ)と改めちょります。

国学は、当時、多くの土佐人たちが教えを受けた鹿持雅澄に学んじょりますき、必然的に国情を憂う多くの若者達と同様に影響を受けた一人じゃろーと思うがです。

此処での多くの仲間達との交流を通して、坂本龍馬や武市半平太らーとも交わり、長崎へ渡るがです。

長崎では、土佐藩の窓口じゃった開成館長崎商会で、総責任者をしちょった岩崎弥太郎の下で働き、龍馬や亀山社中の仲間たちとも交流を続けちょります。

慶応元年9月9日(1865年10月28日)の乙女姉ーやん・おやべさんに宛てた龍馬の手紙の中に書かれちゅう、「頭のはげた若衆」と言うのが丸岡莞爾の事ながです。

是よりおやべどんニもふす。
近頃御めんどふおんねがいニ候。
どふぞ御き〃こみねんじいり候。
扨、わたしがお国ニおりし頃ニハ、吉村三太と申もの頭のはげたわかいしゆこれあり候。
これがもち候歌本、新葉集とて南朝─楠正成公などのころよしのニて出来しうたのほん也。─にてできし本あり。
これがほしくて京都にて色々求め候得ども、一向手ニいらず候間、かの吉村より御かりもとめなされ、おまへのだんなさんにおんうつさせ、おんねがい被成、何卒急ニ御こし可被下候。

「龍馬の手紙」 宮地佐一郎・著


龍馬が、まだ土佐に居った頃に、吉村三太と言う頭のはげた若い衆が居って歌本を持っちょった。

その本が今欲しくて京都で探しゆうけんど、なかなか見つからんき、急いで吉村三太に借りて、おやべさんの旦那さんに書き写してもらってくれんかと言う頼みごとをしちゅうがです。

何とも、ですねー・・・・・(^^ゞ

維新後は、明治3年官途に付き、大阪府勤務から始まり内務大臣書記官や社寺局長等を歴任しちょります。

けんど、龍馬の海援隊士の一員となり、龍馬の説く「琉球列島や蝦夷地も含め西洋列強から日本を守れ!」と言う教えを忘れちゃーせんかたがじゃろー。

明治21年9月、第3代沖縄県知事となり、新政府の元で彼は実行するがです。

県令時代を入れると、第7代・・・・・。

明治23年(1890)1月13日 沖縄県知事・丸岡莞爾は、久米赤島外二島を八重山島役所の所轄と定めたとした同役所から県知事宛伺書が提出されたのを受けて、同趣旨の上申書『魚釣島外二島ノ所轄決定ニ関シ伺ノ件』を提出し、国標を建てる事を国に要請するがです。

明治26年(1893)11月2日 第4代沖縄県知事になった奈良原繁も、国標を建てる事を国に要請する。

明治27年(1894)12月15日 標識建設について、「島は別に従来何れの領土とも決まっていない。地形上沖繩群島中の一部と認めるべきは当然の義」として、閣議提出が上伸される。

明治28年(1895)1月11日 外務大臣・陸奥宗光は、内務大臣・野村靖に国標を建てることに同意すると伝える。

明治28年(1895)1月14日 日本政府が尖閣諸島の沖縄県への編入を非公開の閣議で決定し、正式に日本領とした。

しかし、この決定は尖閣諸島を今まで領土と主張した国がないことから周辺国には特に伝えられなかった。

明治28年(1895)1月21日 内務大臣から沖縄県知事に魚釣、久場両島に沖縄県所轄の標杭を建てるよう指令。

ただ、「指令を受けた沖縄県知事が魚釣、久場両島に標杭を建設したか否か、またこれを建設した日がいつであるかについても、目下のところ不明である。」と書かれちょります。

尖閣列島と日本の領有権
尖閣諸島問題 - Wikipedia:


以上が、経緯ながです。

この時の伊藤博文内閣の外務大臣じゃった陸奥宗光とは、龍馬の盟友で元海援隊士・陸奥陽之助じゃったがです。

二人とも、この時点で龍馬の説いちょった「西洋列強から日本を守れ」と言う教えを実行し、龍馬の志を果たしたがですねー。

明治25年7月にゃ第10代高知県知事となり、選挙後の処理に、正義・正道を持って手腕を振るったけんど上手くいかんかったのか、僅か4ヵ月後の11月に知事を辞しちょります。

因みに、後任になったがは、海援隊にあっては指折りの逸材とされ、長岡謙吉と共に「二吉」と賞される、石田英吉じゃった。

高知県令の時代に就任した高知県人は居ったけんど、丸岡莞爾は高知県知事になって最初の土佐人で、それも龍馬の仲間じゃったがです。

その後は、和歌に通じた鹿持雅澄に国学を学んだ事も影響しちゅうろーと思うけんど、歌人としても優れちょったようで、京都で詩・画を楽しみ、歌集「蒼雨余滴」を残しちょります。

明治31年63歳で、みてちょります。

この墓は、分骨墓です。

「土佐の墓」 山本泰三著
「高知県人名事典」 高知新聞社




[ 注意! ]

■ 墓探しで山に入る場合は、季節によっては、マムシ・ヤマヒル・ヤマダニ・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。

特に3月~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシに、充分に御注意の事!  


冬季に撮りためた写真から・・・
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2 Comments

オンチャン(とさっぽ)">

オンチャン(とさっぽ)  

Re: おりがみ さんへ

オンチャン(とさっぽ)">

ホンマやねー。
私利私欲のために動き回る輩ばっかりで、国民の為に、何をなすべきか一本筋の通った政治家が、思い浮かばん。
情けない、国になってきちょりますねー。

2011/05/31 (Tue) 22:21 | オンチャン(とさっぽ)さん">REPLY |   

おりがみ  

今につながる

日本国をどうしたら良いか・・


そう言う志をもってマツリゴトに関わるお人がなんだかちっとも見えて来ない今日この頃。

タイムスリップでもなんでもいいから人材を幕末にヘッドハンティングして来たいです~。

2011/05/31 (Tue) 12:34 | EDIT | REPLY |   

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