宇賀喜久馬 - 井口事件(栄福寺門前事件)



[ 高知県高知市福井町・奥福井の山 ]


宇賀喜久馬は、天保14年(1843)土佐郡小高坂村の郷士・宇賀市郎兵衛の三男として生まれ、名は祐利と言う。

幕末に起こった井口事件(永福寺門前事件)の被害者の一人として、彼の名は今日にも語り継がれちゅう。

文久元年(1861)、中平忠次郎と永福寺門前を通過した際に、酔った上士の山田広衛に中平忠次郎が無礼討ちにされるがです。

喜久馬は、中平忠次郎の実兄・池田虎之進に急報し、駆け付けた池田虎之進が山田広衛と上士の益永繁斎を殺害するがです。

事は、単純に弟を殺された仇討ちの定を外れ、下士側にゃ土佐に長く残る異質な上下関係の鬱積が一気に爆発しそうな状況に成り、 上士と下士が互いに一触即発の状況を生みだしてしまったがです。

そのため、その日の内に、池田虎之進と宇賀喜久馬は、切腹する事によって事件の収拾を計っちょります。

宇賀喜久馬は親族立会いの下、兄の知己之助(寺田利正)の介錯で切腹しちょります。

この時、まだ19歳じゃった・・・・・。

この井口事件(永福寺門前事件)は、下士たちにゃ遺恨として残り、その後の土佐勤王党の結党の切っ掛けにもなり、尊皇攘夷から倒幕へと進む大きなウネリの魁となったがです。

以前掲載した記事を再び・・・・・。

安政時代の土佐の高知での話である。
刃傷事件に座して、親族立会の上で詰腹を切らされた一九歳の少年の祖母になる人が、愁傷の余りに失心しようとした。
居合わせた人が、あわてて其場にあった鉄瓶の湯をその老媼の口に注ぎ込んだ。
老媼は、其鉄瓶の底を撫で廻した掌で、自分の顔を矢鱈と撫で回した為に、顔中一面に真黒い斑点が出来た。
居合わせた人々は、さういふ極端な悲惨な事情の下にも、矢張りそれを見て笑ったさうである。

寺田寅彦随筆集「渋柿」


つまり、宇賀喜久馬の兄の知己之助(寺田利正)が、寺田寅彦の父ながです。

それに、宇賀喜久馬の姉・伊嘉が、この別役家に安岡家から養子に入った俊蔵に嫁いじゅうし、更に、寺田寅彦の姉・駒は従兄弟になる俊蔵と伊嘉の長男・儁に嫁いちょります。

その安岡家も維新の志士を輩出しちょります。

長男・安岡覚之助は、吉田東洋暗殺の実行犯の一人とされる安岡嘉助の実兄で、土佐勤王党で活躍し、戊辰戦争会津城包囲戦の最中に落命しちょります。

次男・安岡嘉助は、吉田東洋暗殺後脱藩し、文久3年(1863)の天誅組の変に参加したが敗北し、負傷して捕えられて京都六角獄舎で斬首されちょります。

三男・安岡道之助も土佐勤王党に加わり、戊辰役では迅衝隊に加わり各地を転戦し 維新後、板垣退助らの立志社に入り、自由民権運動家として活躍しちょります。

ここも、皆ー、家と言う絆で繋がっちょります。


[ 注意! ]

■ 墓探しで山に入る場合は、季節によっては、マムシ・ヤマヒル・ヤマダニ・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。

特に3月~12月頃(暖かい年は、此の限りではない)に、山や藪に入る場合、マムシに、充分に御注意の事!  
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