寺田寅彦療養の地(土佐藩須崎中砲台跡) - 須崎  




[ 高知県須崎市南古市町 ]


今回は、寺田寅彦の話を・・・。

寺田寅彦が須崎に療養に来ちょった事は知っちょりますが、此処にあった旅館に泊まっちょったとは、これまた知らんかった・・・(^^ゞ

説明板にも書かれちゅうように明治34年の事ですき。

「寺田寅彦全集」の寺田寅彦の日記からすると、須崎に来たがは明治34年(1901)、寅彦23歳の時に、肺炎カタルと言う病気の療養に来たがです。

肺炎カタル(カタル性肺炎)とは、別名・気管支肺炎と言う、肺炎の一種じゃそうです。

実は、明治24年(1981)の13歳の時に、寅彦はこの病に掛かったちょったようで、学校も休学しちょります。

また別の機会にご紹介しますけんど、高知市内にある小津神社に病気平癒の願掛けをしたようで、父・寺田利正と寅彦の名が刻まれた燈篭や石橋があるがです。

と言う事は、一度は病気が直っちょったと言う事になるけんど、その後、また再発したと言う事のようですねー。

寅彦の父・寺田利正は、坂本龍馬の関係の記事の中でも取上げた事がありますが、土佐勤王党の結党にも影響を与えた永福寺門前事件に関わる宇賀喜久馬の兄になる人ながです。

寺田利正の墓 - 井口事件(栄福寺門前事件)宇賀喜久馬の兄 2010.04.20

寺田寅彦が須崎に療養に来ちょった同時期、最初の妻・夏子も肺病に掛かっちょって、高知市種崎で療養生活を送っちょります。

この辺りの話も、日記には書かれちょります。

結婚したがは明治30年(1897)で、寅彦が19歳、夏子が14歳じゃったそうです。

しかし、若い夫婦はお互いが病に侵され、療養の為、互いに離れ離れの生活じゃったがです。

その翌年の明治35年(1902)、寅彦は須崎での療養生活を終え東京に戻るけんど、妻・夏子との別れの時でもあったがです。

妻・夏子19歳で死去。

当時、夏子の忘れ形見、貞子さんは1歳半じゃったそうです。

明治38年4月、「ホトトギス」に発表された寺田寅彦の「団栗(どんぐり)」と言う作品にゃ、初産を控えた若い妻が突然喀血した日から始まる、夏子さんの記憶が描かれちょります。

寺田寅彦 どんぐり:


寺田寅彦の墓 - 妻たちの歳月 2010.04.21
寺田寅彦記念館 2009.07.11


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