大町桂月誕生地 - 碑文の書を書いた林譲治から、話は幕末へ




[ 高知県高知市永国寺町 ]


十和田湖と奥入瀬の素晴らしさに感動して、その魅力を全国に紹介し、晩年は蔦温泉に住まいを移してまで十和田湖と奥入瀬を愛した事で知られちゅう大町桂月は、土佐が産んだ偉人の一人ながです。

明治2年(1869)この地に生まれ、詩人・歌人・随筆家・評論家として活躍したがです。

本名は芳衛と言う名じゃけんど、号として使いよった桂月とは、月の名所・桂浜から付けちょります。

酒好きで酒の失敗も多かったようで「資性豪放、嗜むに酒を以ってす」と言われちょり、毎年、桂浜でも大町桂月を偲ぶ名月酒供養祭も行われよります。

名月酒供養祭 - 大町桂月 2009.01.04
「乙女の像」との関係 - 大町桂月誕生地 2009.01.03

今回の話題は、記念碑の書を書いた林譲治について、調べよったら面白い事が判ったがです。

碑に書かれた林譲治と言う人は、明治22年(1889)高知県宿毛市で、自由民権運動家としても活躍した明治・大正期の政治家・林有造の次男として生まれ、第41代衆議院議長や厚生大臣、内閣官房長官を勤めた人ながです。

その林有造は、天保13年(1842)に土佐国宿毛に安東家の家臣・岩村英俊の二男として生まれ、幼年期に林茂次平の養子になっちょりますが、戦後の内閣総理大臣を勤めた吉田茂とは又従弟にあたる関係じゃそうですねー。


そんで話は此処からじゃけんど、父の林有造にゃ兄・岩村通俊と弟・岩村高俊が居るがですが、この二人が幕末期に関わる話が書かれちょりました。

出典 : 林譲治 (政治家) - Wikipedia:


まず兄・岩村通俊は、岡田以蔵の下で剣術を学んだそうながです。

と言うても、宿毛に来た岡田以蔵と、立会い稽古をした程度のようですが・・・・・(^^ゞ

岡田以蔵も武市瑞山(半平太)に小野派一刀流剣術を学び、江戸の桃井春蔵の道場・士学館で鏡心明智流剣術を学び、さらに豊後岡藩で直指流剣術を学んじょりますき、剣術の腕前はあったがですき・・・。

また「続土佐偉人伝」を開いたら、「貫堂存稿」岩村通俊著に「弱冠の頃、高知の剣客岡田以蔵宣振宿毛に来る。乃ち就て剣術を学ぶ、万延元年武市瑞山又宿毛に来る、通俊之を訪うて互に肝胆を吐露して一見旧の如く互に意気を相許す。」とあり・・・

出典 : 「続土佐偉人伝」寺石正路著



と言う事は、時期的には岡田以蔵が豊後岡藩で直指流剣術を学んだ後、土佐へ帰って来る途中の話のようじゃねー・・・。

戊辰戦争じゃ、板垣退助の配下で戦うちょります。


弟・岩村高俊は、慶応3年9月に長崎に鉄砲買い付けに行った際、土佐藩監察・佐々木高行の添え書きを得て11月に上京し、陸援隊に入隊しちょります。

佐々木高行生誕地碑 - 龍馬と親交が深かった 2010.07.15
佐々木高行邸跡付近 - 板垣退助・後藤象二郎と共に、土佐三伯の一人 2010.08.08

宿毛市立宿毛歴史館:にゃ、下記のようにも記されちゅう。

慶応3年、尊王佐幕の両論がいよいよはげしくなったころ、彼は居ても立っても居られず、郷里を出でて京都に走り、薩摩や、長州の尊王派の志士と交わって、大いに活躍したものである。
その年の11月、坂本龍馬と中岡慎太郎が京都近江屋で暗殺されたが、これを知って高俊は大いに憤慨し、その下手人をせん議して復讐をしようと考えた。
そうして主謀者は紀州和歌山藩の三浦久太郎であるという情報を得ると、同郷の大江卓とはかり、陸奥宗光、中井庄五郎たち同志16人と共に、油小路花屋町の天満屋にこれを襲ったが、警戒が極めて厳重で、これを傷づけたのみで、目的を果すことが出来なかった。・・・


幕末と大町桂月は直接は関係ないけんど、偶々、碑に刻まれた名前から、オンチャンも始めて知った次第ながです。

これが、歴史への関わりと真実じゃろーねー。

面白い繋がりでした・・・。


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2 Comments

オンチャン(とさっぽ)">

オンチャン(とさっぽ)  

Re: マメシバ さんへ 

オンチャン(とさっぽ)">

うれしいねー・・・(*^。^*)

2011/04/20 (Wed) 20:19 | オンチャン(とさっぽ)さん">REPLY |   

マメシバ  

内容がおもしろ過ぎて

ドキドキしながら読んでしまいました(#^.^#)

2011/04/20 (Wed) 19:18 | REPLY |   

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