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織田信安墓 - 織田信長の父・信秀とは従兄弟



[ 高知県高知市筆山 ]


見ての通りの自然石で、文字も見えんし、説明の高札が無かったら墓とは判らんろーねー。

織田信安と言う人は、織田信長の父・信秀とは従兄弟との事じゃけんど、時代は戦国時代、親・兄弟・従兄弟と言えども、事あればお互いが合い争った時代ながです。

それは、織田信安の身にも同じように降りかかっ来ちょります。

信安は父・敏信の跡を継ぎ、尾張・岩倉城(現在の愛知県岩倉市)を居城にしちょったけんど、身内でも有る清洲城城主・織田信長に攻められちょります。

この戦で、信安の配下じゃった黒田城城主・山内盛豊は討死し、その山内盛豊の幼子は、岩倉城の織田信安のもとに身を寄せるけんど、その岩倉城も攻略され、山内盛豊の幼子と岩倉城の織田信安も、ちりじりに離散したそうながです。

その幼子こそ、やがて土佐24万石の城主になった山内一豊じゃそうです。

織田信安は、山内一豊が掛川城主になると一豊を頼って掛川に行き、やがて関ヶ原の戦いで功を成し、一豊が土佐を拝領し入国した後、土佐に来たようながです。

一豊からは厚く厚遇され、現在の土佐市戸波に2百石を与えられ78歳で亡くなっととか・・・。

「土佐の墓」山本泰三著・土佐史談会




■ 墓探しで山に入る場合は、季節によっては、マムシ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。

特に3月~12月頃、山や藪に入る場合、マムシに、充分に御注意の事!
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