大将軍神社 - 変わったネーミングの神社




[ 高知県南国市上野田 ]


自転車で走りよったら、偶然見つけた神社ながです。

その神社の名前、大将軍神社と言う変わった名前に惹かれて、神社に入ったけんど由緒書きなどはなく、詳しいことは判らんかったがです。

大将軍 (方位神) - Wikipediaにゃ、次のようにある。

大将軍は陰陽道において方位の吉凶を司る八将神の一。

魔王天王とも呼ばれる大鬼神。

古代中国では明けの明星を啓明、宵の明星を長庚または太白と呼び、軍事を司る星神とされたが、それが日本の陰陽道に取り入れられ、太白神や金神・大将軍となった。

いずれも金星に関連する星神で、金気は刃物に通じ、荒ぶる神として、特に暦や方位の面で恐れられた。

それに、大将軍は牛頭天王の息子とされ、スサノオと同一視された。(ただし後に、牛頭天王はスサノオと習合した)ともあり、京都では、桓武天皇が平安京遷都の直後、大将軍を祭神とする4つの大将軍神社を四方に置いた。

と書かれちゅう。

また、高知県内二千二百余神社 鎮守の森は今 竹内荘一・著にゃ、次のように書かれちょります。

勧請年月縁起沿革等未詳であるが、古来より野田地区の産土神。

長宗我部時代には神田一反をもっていたと言う。

手前の水路は、野中兼山が物部川から導水した船入川ながです。

人々の交流や農業用水として大切な役割を果たし、物流の要にもなった水路で、その水は浦戸湾に注ぐ、大運河ながです。

この水路沿いの神社側(北側)は高台になっちょり、直ぐ(写真の)左側の方にゃ城八幡もある。

長宗我部元親の家臣・野田甚左衛門の上野田城跡(岩貞城址)の鬼門の方向に大将軍神社は鎮座しちょりますき、城の鎮護の役目をしちょるがでしょうねー。


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