復元橋・眼鏡橋 - 子供の頃、此処には川が流れよった





[ 高知県須崎市東糺町 ]


子供の頃、此処には堀川と言う川が流れ、高札にもあるように、10の橋が架かっちょった。

市内の殆どの子供は、その内のどれぞの橋を渡って、須崎小学校に通ったがでした。

高岡郡奉行所跡・文武館跡 - 間崎哲馬も、下役として一時期在勤

川端と呼びよった川の両岸にゃ、桜や栴檀などの大木もあり、夏は木陰になり蝉やトンボを追いかけた。

日曜市は、大そうな賑わっちょったがを思い出したがでした。

此処も、御他聞にもれず、交通量の増大を理由に川は暗渠にされ、然程綺麗な川じゃなかったけんど、故郷はまた一つ消滅しちょりました。

現在復元されちゅうような、めがね橋のもっと大きい橋が架かっちょた。

今は親水公園のようになって、復元橋が造られちょるけんど、何のためぜよ。

無駄・必要ないと思って当時の行政が消滅させたのであれば、懐古的に復元すること自体、ナンセンスな話。

何時の世も無くなって気付くのは、親の有り難味と、歴史遺産の重み。

こうした光景を見ると懐かしいを通り越して、破壊されたことが残念と言う思いが頭の中を駆け巡る。

須崎に限らず高知県全体が、もっと古いものを取り入れ個性的な街造りをせんと、龍馬だけじゃ観光客も寄り付かんようになるぜよ。

高札にゃ、この川は、野中兼山が造ったと言う説と、慶長時代に造られたと言う説があるとも記されちゅう。

何百年も須崎の歴史と共に守られてきた歴史遺産を、たった交通量の増大の理由だけで、地上から消滅させた事はただただ残念ながよ。


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