北添佶磨邸跡と誕生地碑 - 龍馬と蝦夷地開拓の話を・・・




[ 高知県高岡郡日高村岩目地 ]


天保4年(1833)に、岩目地村庄屋・北添与五郎の五男として生まれ、名は正佶、号を松蔭・対松軒と言い、山本七郎と言う変名を使いよった。

幼少より神童と呼ばれよったようで、高知城下の間崎哲馬の塾に学び、吉村寅太郎や中岡慎太郎らと同門じゃったがです。

間崎滄浪(哲馬)邸跡 - 青蓮院宮令旨事件で投獄 2010.04.19
吉村虎太郎の銅像 2008.04.26

16歳の時に父・与五郎の庄屋職を継ぎ、嘉永6年(1853)、19歳にして高北九ヶ村を束ねる大庄屋になり、同郡大内村へ移転しちょります。

また、寺子屋を開き近所の子供達に読み書きの教育をしちょります。

文久元年(1861)、土佐勤王党が結成されると同郷の戸梶直四郎と共に土佐勤王党に加盟し、その後、妻とも離別し、国事に奔走するため脱藩し、本山七郎という変名を用いるがです。

京では、坂本龍馬と会談を持ち龍馬が説く海軍説に同調しちょりますねー。

元治元年(1864)6月5日(1864年7月8日)、京都三条木屋町の旅館・池田屋を新撰組が襲撃する池田屋騒動が起こるがです。

池田屋騒動之址 2010.06.04

仲間の枡屋喜右衛門(長州系間者・古高俊太郎)が新撰組に捕らえられた事から、京都市中において武力決起を企てちょった事が発覚するが。

何ちゃー知らん同志らーが池田屋で会合を開きよった所、急襲されると言う惨劇が起こったがです。

事件の起こる前に、池田屋にゃ既に新選組の間諜・山崎丞が入り込んじょったようで、北添佶磨らーの太刀や槍を隠し、木錠を内から開けちょったとも言われちゅう。

無念にも北添佶磨は、階下の様子を見に行った所を、新選組隊長・近藤勇に惨殺されたがです。

享年32歳。

この事件では、望月亀弥太も事件に遭遇し、逃げたものの京都・長州藩邸門前で自刃し果てちょります。

望月亀弥太邸跡 - 池田屋事件に遭遇 2009.11.30

碑の文字は、田中光顕が書いちょります。


[ アクセス ]

■ JR土讃線「岡花(おかばな)」駅下車、西に徒歩約1km。

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[ 注意! ]

■ 墓探しで山に入る場合は、季節によっては、マムシ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。

特に3月~12月頃、山や藪に入る場合、マムシに、充分に御注意の事!  
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