徳弘益孝墓 - 龍馬・瑞山・以蔵らに砲術や絵画を教えた





「西洋の砲 南派の墨」と刻まれちゅう

[ 高知県高知市井口町 ]


徳弘董斎(とくひろ とうさい)は、文化4年(1807)に土佐藩士・徳弘石門の長男として生まれちょります。

董斎と言うのは号で、砲術家・画家として著名な、土佐の偉人の一人ながです。

坂本龍馬、兄・権平、武市瑞山、岡田以蔵ら、多くの志士らーにも西洋砲術を教授し、武市瑞山にゃ絵も教えた師匠ながよ。

じゃき、武市瑞山の書き残しちゅう絵画の原点も、この董斎先生に始まっちゅう。

兎に角、董斎先生も、精神面で龍馬らーの支えになった事は、疑う余地はないと思うちゅうがです。

それにしても、大きくて立派な墓じゃけんど、彫りも凄いぜよ。

名前の部分は、約2cmばー深く刻まれちゅうがやき。

似たような彫りのある墓は、岡本寧浦先生の墓もそうじゃねー。(また近いうちにアップするけんど・・・)

それだけ、多くの門弟や人々に慕われちょったと言う事じゃろーねー。

墓碑それぞれにゃ、何時生まれ・何時亡くなったか・享年は、それに故人の偉業や関わる事も刻まれちゅう。

碑文は、奥宮 禮が書いちゅう。

廣井磐之助の墓碑にある渡揖雄撰を書いちゅうがも、奥宮 禮やき。

晩年は、砲術をやめ画で一家をたて、橋本小霞と並び称される画家になり、明治14年75歳で亡くなっちょります。

場所は、歴史写真家・前田秀徳先生に、ご案内いただきました。




[ 注意! ]

■ 墓探しで山に入る場合は、季節によっては、マムシ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。

特に3月~12月頃、山や藪に入る場合、マムシに、充分に御注意の事!  
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1 Comments

オンチャン(とさっぽ)">

オンチャン(とさっぽ)  

Re: 中平 さんへ

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「土佐の墓」にゃ、奥宮禮(奥宮正路)は、家老・深尾弘人に仕えちょったと、書かれちょります。

ねっ!・・・奥宮禮(奥宮正路)から、今日、出逢った佐川出身の深尾さんに繋がったろー。

佐川出身の深尾さんも、五藤様さんも、出逢うべきして出逢うがじゃろーねー。
それが、歴史に残る出来事でなくても、知らぬうちに歴史に関わったがですよ。
そう思うた方が楽しいし、不思議ですよねーー・・・。

私も、中平さんと、blogを通してお知り合いになれたのも、自分の知らんかった事を教わるためじゃったと、思うちょりますき。

この間、前田先生と話よって、人と人が出逢うのは、合縁奇縁もあるかも知れんけんど、お互い出逢うべきして出逢うがじゃろーと、話をしたところです。

寒くなりました、ご自愛下さい。

2010/11/08 (Mon) 21:07 | オンチャン(とさっぽ)さん">REPLY |   

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