島村衛吉墓と碑 - 土佐勤王党弾圧で拷問により獄中死





[ 高知県南国市下島 ]


文久3年8月18日(1863)に起こった八月十八日の政変(禁門の変)で攘夷派が失脚し、再び公武合体派が盛り返すと、山内容堂は土佐勤王党の弾圧を始めるがです。

文久3年9月21日に、土佐勤王党党首・武市半平太と同日、島村衛吉(えきち)も、獄に繋がれてしまったがです。

武市半平太は、南会所に投獄されるけんど、島村衛吉は郷士じゃったき、山田橋獄舎に投獄されるがです。

捕えられて一年ほど経った頃、武市半平太の捕えられちょった南会所に移されちゅうようながですが、慶応元年3月20日に、再び山田獄舎に移されちょります。

NHK大河「龍馬伝」の何回目の放送か判らんけんど、島村衛吉の拷問シーンがあったそうで、拷問されて苦しむ衛吉の声を牢越しに聞いて、「衛吉!衛吉!」と呼びかけるシーンがあったそうです・・・。

見ちゃーせんき詳細は、よう判らんけんど・・・。

このシーンが有り得たとしたら、前述した南会所に移されちょった時の事じゃねー。

南会所に移されちょった理由は、拷問を受けて苦痛のあまり悲鳴を上げる島村衛吉の声を、ワザと武市半平太に聞かせ、口を割らそうとした上士側の心理作戦じゃったのかも知れんと思うちょります。

そいて山田橋番所に戻されて直ぐの3月22・23日の立て続けの激しい拷問を受け、血を吐いてしまい、そのまま絶命したがじゃそうです。

そんでも、島村衛吉は口を割らんかったがです・・・。

島村衛吉は天保5年(1834)、土佐国香美郡下島村郷士・島村潮成の次男として生まれちょります。

衛吉の母は、島村祐四郎の娘で、兄弟にゃ島村源次郎、寿之助、それに佐尾子さんが居る。

島村源次郎の長女が武市半平太の妻・富子さんじゃし、山本代七の父・新四郎さんの弟が坂本龍馬の父・坂本八平さんになるがよ。

島村寿太郎:土佐勤王党・武市半平太の妻・富子の弟で土佐勤王党に24番目に加盟。

島村寿之助:島村寿太郎の叔父でと土佐勤王党に18番目に加盟。

島村衛吉は、島村寿之助の姉の二男で、土佐勤王党の結成に加わり3番目に加盟。

島村外内は、島村寿之助の姉の長男じゃき、衛吉の兄で土佐勤王党に180番目に加盟。

と、この島村両家も、土佐勤王党にゃ深い関わりがあるがですき。

中岡慎太郎が教えを受けた、奈半利の島村塾も同族じゃとか・・・。

因みに文久2年(1862)の吉田東洋暗殺にも関与し、その後の本間精一郎や目明し文吉の暗殺に加わったと言われちゅう。

同年の勅使江戸下向では、三条実美の護衛を務めちょります。

島村衛吉 - Wikipedia

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