要法寺 - 山内一豊が長浜城主となった時、菩提寺に



[ 正面・客殿 ]

[ 左・本堂と右・鬼子母神堂 ]

[ 高知県高知市筆山町 ]


要法寺は元は、永正2年(1505)に創立された寺で、天正13年(1585)、山内一豊が長浜城主になった時に、菩提寺にしちょります。

その後、天正18年(1590)遠州掛川城主となると掛川に移り、慶長6年(1601)にゃ一豊が土佐に入国のすれば、要法寺も一緒に土佐に移って来たがじゃそうです。

土佐では、最初は浦戸に寺を建てたがですが、その後、現在の高知城下の築城が始まって郭中が形成されて行くと、またもや家臣たちの住む郭中に隣接した場所(現在の堺町辺り)に移転したがじゃと・・・。(^^ゞ
                         
けんど、貞享4年(1687)の大火で焼失し、現在の此の地に代替地が与えられたそうながです。

寺の黒門は、承応元年(1652)に修復造営したもので、焼失せずに残り、移築されちょるそうなが。

参考:山内家と要法寺-高知市広報「あかるいまち」2005年7月号より- 土佐史研究家 広谷喜十郎


因みに、当初は要法寺が長浜時代から菩提寺じゃったけんど、道路を挟んで北側にある真如寺が、藩政時代にゃ藩主の菩提所になっちょり、門前にゃ山内家歴代藩主菩提寺の石柱が建っちょります。


[ アクセス ]

■ 土佐電鉄伊野線「大橋通」電停下車 徒歩約630m 

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