前浜砲台跡






[ 高知県南国市前浜 ]


嘉永6年(1853)、米国提督ペリーが浦賀に突然現れる。

それまでの幕府は、近代的な外国船を知らんかったき、黒船の来航は幕府にとって思いもよらん混乱を招くことになる。

庶民も最初はのんきに構えちょって見物のため浦賀に繰り出したりしたらしいけんど、そのうち、黒船が江戸を砲撃するかも知れんと言う話が広がると、江戸中が大騒ぎになっていったがです。

太平の眠りをさます上喜撰 たった四はいで夜も寝られず 

上喜撰と言う高級茶を四杯飲んだだけで、夜、寝れない。

つまり、たった四隻の蒸気船が来ただけで、大騒動になって夜もおちおち寝られないとは情けない、と皮肉った狂歌。

そんで、それまでの異国船打払令の対応じゃ太刀打ち出来んようになり、幕府は国家の一大事とばかりに、海岸防備のために諸藩に砲台建設を命じるがです。

此処も、その一つ。

土佐藩は、此処、前浜砲台と須崎・浦戸・種崎等に砲台を築いちょります。

浦戸砲台場跡 - サン・フェリぺ号漂着事件に繋がる 2009.12.07

南国市史跡・前浜砲台跡碑と説明板のある石垣が残っちゅう盛土と、その両サイドの盛土も砲台跡なが。

この砲台は、下田村の郷士・大原里勝が小頭に任命されて、築いたがじゃそうです。

嘉永6年(1853)の黒船が来航した時、坂本龍馬は最初の江戸留学中の事で、海岸警備のため品川に動員されたがです。

黒船来航は、日本が開国への道を歩み出すと共に、この事件が発端で、尊皇攘夷の嵐が吹き荒れる幕末に突入して行ったがです。


理不尽な異敵から、日本を守るために。

時代は繰り返すと言うけんど・・・。 


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