宮地彦三郎墓 - 坂本龍馬から海援隊に入ることを許される





[ 高知県南国市立田 ]


宮地彦三郎は、天保10年に土佐藩士・宮地六丞真景の次男として生まれちょります。

勤王派の志士たちと交流し、自らも強く影響され勤王の志を抱くようになったがです。

坂本龍馬との出会いは、文久3年(1863)2月の事。

坂本龍馬が、脱藩の罪を許され7日間謹慎した時に警固したのが宮地彦三郎ながです。

龍馬からなのか否かは判らんけんど、彼も影響を受けたようで脱藩し、北添佶摩らと志士活動をし、国事に奔走しちょります。

慶応3年(1867)6月に、後藤象二郎を旅宿を訪ね、坂本龍馬から海援隊に入ることを許され、以来、長岡謙吉配下として八木彦三郎を名乗っちゅう。

坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された当日の昼頃、近江屋に龍馬を訪ねて行っちゅう。

けんど、龍馬から上がれと勧められたけんど辞退しちょります。

龍馬が暗殺されたと知り、近江屋に駆けつけた一人でもあるがです。

龍馬没後、「以後、才谷位のごふけつハ土州には生じ不申」と嘆き、天満屋への斬り込みに参加しちゅう。

天満屋事件 - Wikipedia

慶応4年(1868)、長岡謙吉と共に新海援隊を結成しちょります。

亡くなったがは、大正5年(1916)。

墓石にゃ、左右・裏面に細かい字が一杯刻まれちょったけんど、読めんかった。

隣にゃ、奥さんの墓石も・・・。

参考:「坂本龍馬大辞典」新人物往来社

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