四国霊場第30番札所奥の院・安楽寺






[ 高知県高知市洞ヶ島 ]


正式名称は、妙色山 金性院 安楽寺。

此処は、現在、四国霊場第30番札所・善楽寺 2010.09.21でご紹介した、第30番・善楽寺の奥の院に定められちょります。


延喜年間(901-923)、菅原道真の長子である菅原高視が配流先の土佐国潮江高視の里で菅原道真逝去の知らせうけて当地に天満宮を建立するに際し、築紫菩提寺に因り建立した寺とされる。

その後、12坊を有する大寺院となったが応仁の乱(1467)の兵火を受けて焼失し衰退、栄俊の時代には、久万城主・毛利吉政に菩提寺と定められるなどして復興するが戦国の動乱で再び衰退、など盛衰を繰り返した。

江戸時代になって寛文年間(1661-1673)に弘法寺の栄俊大徳による再興が行われ、このとき号を金性院と改められた。

明治時代初頭の廃仏毀釈の影響でついに廃寺となったが、明治8年(1875)に、常宝により旧・瑞応寺跡に再興されて、現在に至っている。

平成5年(1993)まで善楽寺とともに四国八十八箇所第30番札所に定められていた。

平成6年(1994)年1月1日より、善楽寺を第30番札所、当寺を第30番札所奥の院と定められている。

安楽寺 (高知市) - Wikipedia


毛利吉政は、毛利勝信の子で、父と共に豊臣秀吉の家臣として仕えた。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、父と共に西軍に参戦した。

戦後は改易となり、父と共にその身柄を加藤清正、次いで山内一豊に預けられる。

旧知でもあり親交のあった山内家では1千石の封地をあてがわれ、父子とも手厚く遇されたという。

殊に勝永の弟は山内姓を与えられ、山内吉近を名乗るなどの厚遇を受けた。

毛利勝永 - Wikipedia


土佐との関係はあったようじゃけんど、久万城主・毛利吉政に菩提寺と定められると言うのは、これは未確認・・・?

歴史的にゃ由緒ある寺院ながですねー。


明治維新の愚行の一つは、廃仏毀釈じゃろーねー。

奈良や京都なども、廃仏毀釈の影響で、当時は相当に荒廃したと言われちょります。

高知も同様で、特に尊皇攘夷を掲げて戦った土地ですき、神社は残しても寺院は相当破壊されたり荒れ果ててしまったがじゃないろーか・・・。

高知に、古い寺院が当時のまま残っちゃーせんのは、廃仏毀釈の影響もあるがです。

愚かな行為をしたもんじゃき。

此処も、ご他聞にもれず、建物は残念ながらコンクリート造りになっちょります。

因みに、旧・瑞応寺跡は長宗我部元親の父・国親の菩提寺で、そこの住職が薫的和尚じゃったがです。

安楽寺は、同じ区域に瑞応寺も薫的和尚を祭る薫的神社あり、同居しちゅうような状況ながです。

薫的神社 - 薫的和尚 2010.05.20
薫的和尚の御廟 - 薫的神社 2010.06.18


[ アクセス ]

■ JR土讃線「入明」駅下車 徒歩約300m
■ 土佐電鉄伊野線「大橋通」電停下車 徒歩約1km
■ 土佐電鉄伊野線「高知城前」電停下車 徒歩約1km

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