田村城跡 - 土佐守護・細川氏居城





[ 高知県南国市田村 ]


長宗我部元親が平定する以前、14世紀半ば頃の南北朝時代の土佐は、足利尊氏の配下・細川一族が支配しちょったがです。

この城跡は、その細川頼益が、至徳3年(1386)に土佐守護代として入り、田村の地を守護所と定めて築城した城跡じゃとされちょります。

まあ、城跡言うても、当時は掘割(水路)を巡らしただけの、普通の平舘じゃったがでしょうけんど、それでも東西・南北、それぞれ約100m程の規模じゃったそうながです。

以降、土佐守護として細川頼之 - 満益 - 持益 - 勝益と続くけんど、応仁元年(1467)に、応仁の乱が勃発すると、各土豪の勢力が台頭し戦乱が各地に広がって行き、統率力も弱体していき、やがて土佐を守護できなくなった細川勝益は京都に去るがです。

細川氏の居らん成った土佐には、元・細川氏の家臣や協力者やった豪族達が居った。

津野氏・大平氏・吉良氏・本山氏・安芸氏・香宗我部氏、それに長宗我部氏。

これが土佐の七守護と呼ばれる士族たち。

土佐物語にゃ、山田氏、片岡氏を加え、9氏とも記されちゅう。

やがて、土佐も七守護たちが互いに覇を競い合う、戦に明け暮れる戦国時代に突入して行ったがですねー。

主の居らんなった田村城は何時しか廃城となり、今は、こんもりとした木立の中に、城八幡が祀られちょります。


田村城址の傍にゃ、この辺りが縄文時代から約3000年も続く歴史の上に立っちょる事を示す、田村遺跡群の案内板もあるがです。


[ アクセス ]

■ 南国バイパス「立田通」バス停下車、徒歩約1km。

・「立田通」バス停の時刻表  

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