山内豊福 - 土佐藩と徳川幕府との板挟みで苦悩した悲劇の殿さん






[ 高知県高知市旭天神町・水道山 ]


坂本龍馬の実家の墓所がある丹中山のちょっと西(直線距離で約900m)に、高知市の旭浄水場があるけんど、その裏の水道山の一角にポツンと取り残されたような、2m近い立派な墓碑が建っちょります。

墓碑にゃ「陽国陰英巌義忠」と刻まれちょりますが、名は山内豊福と言う人ながです。

山内豊福と言う人は、筑前秋月藩第10代藩主・黒田長元の2男で、高知新田藩第4代藩主・山内豊賢の養子に入った人です。

因みに、この黒田長元と言う人も、元は土佐藩第10代藩主・山内豊策の5男で、17歳の時、黒田家に養子に入った人ながです。

この山内豊福は、生まれた時代が悪かったとしか言いようがない・・・。

生まれたのは安政3年(1854)で、彼の治世はまさに殺伐とした幕末の激動期じゃった。

本藩の山内容堂に従って国事に尽くすが、元々は容堂と同じように佐幕派で武力行使にゃ反対じゃった。

しかし時代の流れは一気に、本藩・土佐藩をも激動の渦中に引き入れ、容堂は徳川慶喜に大政奉還を建白する。

大政奉還後、徳川のためと自重をしちょったけんど、ついに戦になり、鳥羽・伏見の戦いに敗れた将軍・徳川慶喜が江戸に逃げ戻ると、山内豊福もその後を追い、江戸に戻るがです。

慶応4年=明治元年(1868)、正月12日、江戸城で戦後処理を巡って会議が行われた。

しかしこの時、山内豊福は城内において多勢の前で、徳川慶喜から土佐藩の支藩だとしてなじられちょります。

そいて、この時の評定は主戦論に決まり、彼も同調せざるを得なかったがです。

けんど藩邸に戻ると、本家・山内容堂から倒幕への方針転換を知らされるがです。

元々、山内家は徳川に恩のあるが故に、これまでお家大事と倒幕にゃ反対じゃったけんど、手の平を返したように山内容堂は新政府軍に組して、山内豊福にも本家(山内容堂)から早急に上京し、行動を共にするようにと催促を受けるがです。

山内豊福にしてみたら、まさか土佐藩が徳川幕府を倒す側に付くとは思いもよらなかったがやろー。

先にも書いたが、彼は、佐幕派で武力行使にゃ反対じゃった。

不幸にも、本家・土佐藩山内家と徳川幕府との板ばさみに苦しんだがです。

老臣・堀越忠三郎から自重を諌言されるけんど、慶応4年=明治元年(1868)、正月14日夜半過ぎ、苦慮した挙句に自刃してしまうがです。

そいて夫の自刃を知るや、妻・典子も幼い2人の娘の慈育を願う遺書を残し、自刃しちょります。

豊福33歳、婦人28歳。

土佐藩は対面を作ろうために、豊福の死を隠し、現在の高知市旭に移った事にし、7月18日に土佐の地で亡くなったように隠蔽したがです。

豊福の跡は、その遺言で先代の高知新田藩第4代・山内豊賢の弟・豊充の長男・豊誠が継ぎ、戊辰戦争では本藩・土佐藩と共に戦ったと言う事です。

どちらに付いても忠ならんとしても、結局はどちらにも不忠。

それを死をもって、どちらにも忠となしたがですかねー。

桜の名所と言う程じゃないけんど、桜の時期にゃ花見客で賑わうがですが、傍らで宴を催していても、この墓碑に足を止める人は殆ど皆無。

本来は、山内家代々の眠る鏡川の南・筆山に葬られるべき殿様じゃけんど、本家からも見放されたのか、この地にヒッソリと墓碑が建てられちょります。

春になれば、満開の桜が墓碑を覆うように咲くのが、せめてもの慰めかも・・・。

彼は維新の被害者・・・、これも歴史と言う悪戯ですかねー?


高知新田藩とは

土佐藩第2代藩主・山内忠義の4男・一安が、慶安2年(1649)に3千石を与えられ分家する。

屋敷の地の名をとり麻布山内家と呼ばれ、山内之豊-豊清と相伝した。

一方、中村藩第3代・山内豊明は将軍綱吉の寵愛を受けて若年寄に就任したけんど、不敬によって改易となった。

山内大膳亮邸跡 - 大膳町の由来 2009.10.25

その山内豊明の子の豊成の四男・豊産が、麻布山内家の山内豊清の養子となり、安永9年(1780)に本藩(土佐藩)第9代藩主・山内豊雍から蔵米1万俵を給されて、それまでの3千石と合わせて1万3千石となり、高知新田藩を立藩した。

参勤交代を行わない江戸詰めの定府大名じゃそうです。

[ 参考 ]

高知市歴史散歩 広谷喜十郎・著
高知新田藩史
黒田長元 - Wikipedia




[ アクセス ]

・JR土讃線「旭」駅下車 約860m 
・土佐電鉄伊野線「旭町三丁目」電停下車 約1km

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2 Comments

オンチャン(とさっぽ)  

Re: おりがみ さんへ

そうやねー。
オンチャンも、この春、初めて桜を撮りに行って知ったがです。
維新史の悲劇の一つとして、もっと知って欲しいですねー。

2010/09/18 (Sat) 20:43 | REPLY |   

おりがみ  

悲しいお話ですね

次回帰省の際は行ってみたいです。
こういうもまれて悩んで消えて行った人が実家のごく近くにほおむられていたとは・・。

出来れば桜の季節に。

2010/09/18 (Sat) 11:51 | EDIT | REPLY |   

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