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山本家墓所 4 - 山本代七夫妻(龍馬の父方の従兄弟夫妻)

オンチャン(とさっぽ)



[ 高知県高知市・筆山 ]


山本代七信道は、山本新四郎信年の子として文化2年(1805)に生まれ、安政5年(1858)に亡くなっちょります。

子供が2人おり、長男が琢磨、次男が三治と言うがです。

この長男・琢磨は、江戸で時計拾得事件を起こし、ことが発覚し窮地に追い込まれるがですが、坂本龍馬と武市半平太の助けで江戸を脱出し、その後、函館に渡り沢部と改名した沢辺琢磨の事ながです。

奥さんは、高知城下新町田淵の郷士・島村祐四郎雅寿の三女・佐尾子と言う人で、兄には島村源次郎、島村寿之助が居る。

その島村源次郎の娘の富子さんが嫁いだがが、武市半平太小楯(瑞山)ながです。

ややこしいけんど、山本代七信道夫妻は、坂本龍馬からしたら父方の従兄弟夫婦で、武市半平太にゃ叔父さん叔母さんの関係になるがです。

じゃき江戸で琢磨が起こした事件は、龍馬にゃ従兄弟半、半平太にゃ従兄弟と言う親族同士の事じゃき、何としても逃がしてやりたかったがでしょうねー。

けんど従兄弟半ちゅうがは、以外じゃねー。

実際は、龍馬と琢磨の年齢差は、龍馬が2つ下・・・。

原因は、山本家墓所 3 - 山本新四郎夫妻(坂本龍馬の父・坂本八平の兄夫妻)2010.09.13 で触れちゅうけんど、琢磨の祖父になる・山本新四郎信年と龍馬の父・八平さんの年齢差が17歳で、龍馬は八平さん39歳の時に誕生しちゅうが。

そんな訳じゃき、琢磨は祖父・新四郎さんからすると54歳の時の初孫で、龍馬は56歳の時の甥っ子ながよ。

あー、めんどくさい・・・(^^ゞ

兎に角、この二人が幕末の同時期に誕生しちゅうがは、これも歴史の悪戯じゃったがじゃろーねー。

二人とも、違う意味で歴史に名を残しちょります。
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Posted byオンチャン(とさっぽ)

  



Comments 1

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芋上  
土佐山本家について

おんちゃんさんこんばんわ!ご無沙汰しております。
おんちゃんも良い歳をお迎えされた事心より願っております。
戌年を迎えて、今年の僕の歴史のテーマは土佐山本家についてです。

新年を迎えて久しぶりに母親(歴史好き)とゆっくりと話をする機会がありました。その中で、私の曽祖母と五代祖母の苗字が山本〇〇である事(これまで気にした事は一度も無かったのですが)を思い出しました。

その曽祖母と曽祖父、五代祖母と五代祖父はそれぞれ従兄弟婚であった事が判明しています。
当時従兄弟婚と言うのがどれだけ稀な事なのかは今となっては知るよしもありませんが、

我が家の山本家からいらしたお祖母様方が、おんちゃんさんがブログの記事にして頂いている土佐山本家の出自かどうかは残念ながら明確に判明させる事は出来ません。

しかし、我が家と縁戚関係にある山本家のお祖母様方が出自のご子孫様が現在もご在命(御歳90歳位)で、私の祖父が亡くなった後に両親が親戚を通じてお話しをお伺いにお伺いさせて頂いた際、その山本のお祖母様のご先祖様が記したとされる日記を拝見させて頂いた事があるとお伺いしています。

その日記には、山本家のご先祖様がお城にお勤めにあがらせて頂いていたという内容の記述があったと伝え聞いていましたので、我が家が縁戚関係にある山本家が土佐山本家なのか?と妄想を膨らませておりました。これはご子孫のお祖母様に日記を拝見させて頂かないとにわかに信じがたいと申しますか、確証を持てない事ですが。

当時の事を考えますと、女子の出自や嫁ぎ先が文書に残り記録に残る事は極めて稀であると考えられます。
しかし我が家に嫁がれた五代祖母は製紙工場を営み大変裕福な家系であったとも伝わっております。

そして、もしも土佐山本家と我が家が縁戚関係にある山本家が同一であったとすると何故我が家系が明治維新における激動の渦の渦中になかったのかと言う疑問も生じます。

我が家の先祖の中で明治維新を迎えているのは5代祖父で、明治15年没享年69歳となっています。
つまり明治維新の際に54歳、4代祖父に関しては没年は大正11年、出生年が記載されていませんが、恐らく明治維新の際には30代前半であった事が推測されます。

龍馬さん方とは10歳程離れており、住んでいた地域もいの町鹿敷、神谷村でしたのでご城下で攘夷活動をされていた皆様とは被らなかったのか?と想像しています。

さて、話がそれてしまいましたが本題の山本家についてです。
我が家と山本家の状況はさて置きまして、山本琢磨さんについて私もおんちゃんさんと同様、非常に興味深い人生を送られた方であると認識しています。

龍馬さんや武市さんと血縁の従兄弟関係にあり、生粋の尊王攘夷志士として青年期を過ごしながら、切腹の命令から逃れ北海道まで落ち延び、晩年は日本人初のキリスト教(ロシア聖教)の司祭になっています。

彼の人生、晩年の過ごし方は私と母親の見解では、龍馬さんの維新の構想の中の、都に溢れる浪人を蝦夷地に開拓民として登用する事、また函館戦争の際に榎本氏や土方氏が思い描いていた蝦夷共和国立国などが背景にあるのではないか?と考えています。

当時、蝦夷地は攘夷方、幕府方に関わらず新天地でありそれぞれの構想の中で重要な位置づけにあった事が想像出来ます。

山本琢磨さんは、龍馬さんや土佐勤王党との別れの中で蝦夷地に関する調査を行う先駆け的な存在であったか、もしくは龍馬さん方がその構想実現する過程で必ず姿を現わす安全な場所として認識していたか、今となっては真実を知る術はありませんが、キリスト教に改宗した事実を考えますと、
山本琢磨さんは幼い頃から苦楽を共にしてきた従兄弟や同郷の仲間達が志半ばでその類稀なる命果て散っていった様を伝え聞き、さぞ憂いた事と想像するに容易です。

仲間と皆で信じ、夢みた尊王、倒幕の夢が叶った後の世に、あの龍馬さんも武市さんも居ない、どれほどの虚無を味わったか、そしてその虚無を感じながら生き続ける己の人生への償いとして山本琢磨さんはキリスト教に身を投じたのかもしれません。

山本琢磨さんの土佐勤王党からの離脱、晩年の心情を思うと心が晴れる事はありません。

今はただ山本琢磨さんのご冥福を祈るばかりです。

2018/01/24 (Wed) 00:57 | EDIT | REPLY |   

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