山本家墓所 2 - 山本覚右衛門墓(龍馬のおじいちゃん)



[ 高知県高知市・筆山 ]


写真の墓碑銘が見ずらいけんど、山本家5代目・山本覚右衛門さんの墓。

山本覚右衛門さんは、延享2年(1745)に、土佐郡潮江村の白札(上士と郷士の中間に位置する身分)・山本伴蔵信敬の子として生まれ、文政7年(1824)に亡くなっちょります。

山本覚右衛門さんにゃ、2人の子が居り、兄・山本新四郎信年は家督を継ぎ、弟・山本常八郎は、坂本家に養子として入り、生まれた子供の一人が坂本龍馬ながです。

じゃき、山本覚右衛門さんは、坂本龍馬の父方のおじいちゃんになるがよ。

けんど、坂本龍馬が生まれたがは天保6年(1836)じゃき、この世ではお互いに顔を見ることもなかったがですねー。


因みに土佐 山本系図を見ると、氏素性のハッキリした家柄で、下記のように注釈が書かれちょります。

土佐山本氏の祖は、穂積姓鈴木氏の支流に出づ。

【歴史】鈴木三郎重家は織田右府公に仕へ、有故、名を「桑津二郎右衛門重家」と改む。

その子二郎兵衛重正は、藤堂和泉守に仕へ食禄5000石なり。

重正の子又左衛門重實は、山内氏を頼りて土佐に來たりて、氏を「山本」と改む

【菩提】高知縣高知市潮江筆山墓地


織田右府公とは、織田信長の事ですき。

唐名(律令制下の官職名・部署名を同様の職掌を持つ中国の官称にあてはめたもの)と言うて、織田信長の官職が右大臣であったことからの呼び名です。


[ 追記 ]


山本家4代目・山本伴蔵信敬 享保3年(1718) - 寛政13年(1801) 

山本覺右衛門さんの父で、龍馬から見て父方の祖祖父 。

弟・山本信敬は、宮地氏(清和源姓・細川氏の支流、天竺氏に出づ)を継ぎ、信敬より5代目・宮地桃太郎茂春の妻は板垣退助の二女。 


山本家2代目・山本新左衛門重道 生年不詳 - 貞享3年(1686) 

父・桑津又左衛門重實が、山内一豊に仕えるため土佐に入り、山本氏を名乗る。
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