坂本龍馬先塋の地 4 - 二代と三代の墓


二代・彦三郎と妻の墓

三代・太郎左衛門と妻の墓

[ 高知県南国市才谷村 ]


此処には、二代・彦三郎と妻の墓三代・太郎左衛門と妻の墓と、その一族であろう墓がある。

長宗我部氏時代、この地で1町余りを耕作する農民として、三代まで、この才谷に暮らしちょったがですが、寛文6年(1666)に四代・八兵衛守之(才谷屋初代)が高知城下に出て、本丁筋二丁目で質屋業「才谷屋」を創業する。

元禄14年(1701)に本丁筋三丁目に家屋敷を買い求め、増改築を繰り返し豪商・才谷屋の基礎を築いて行くがです。

事業も拡大し酒造業なども商い、享保年中に集積した田地は三町4反(約33720m2)もあったそうで、それも僅か40年程で播磨屋櫃屋と肩を並べる豪商になっちょります。

単純に計算して、約185m四方の広大な広さになるが・・・。

享保16年(1731)、五代(二代・大濱)・八郎兵衛正禎は、本丁筋年寄役を命じられ、この頃、名字帯刀を許され大濱姓を名乗るようになり、藩主に拝謁を許されるに到った。

六代(三代・大濱)・八郎兵衛直益は窮乏する土佐藩の財政に貢献すると同時に、豊かな経済力をもとに学問にも志した教養人でもあったそうながです。

そいて明和7年(1770)、その六代(三代・大濱)・八郎兵衛直益の二人の子供の、)弟・八郎右衛門直清が(四代・大濱)才谷屋を継ぎ、兄・八郎兵衛直海は郷士の株を買って分家し、坂本家初代となるがです。

この才谷に眠る初代から三代までの墓碑は、六代(三代・大濱)八郎兵衛直益が建てちょります。

また、才谷屋初代が名乗った大濱姓は、南国市才谷村にあった地名とか・・・。

[ 参考 ]

「高知市歴史散歩」広谷喜十郎・著
「高知県の歴史」 山本 大・著

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