山内容堂誕生の地

080329-02.jpg

[ 山内容堂誕生の地  高知/高知市追手筋2丁目 ]

豊信(容堂)の生まれた「山内南家」は石高1,500石の分家で、連枝五家の中での序列は一番下であったがです。

それが如何して藩主の座にちゅう事じゃけんど・・・?

13代藩主・山内豊熈、その弟で14代藩主・山内豊惇が相次いで急死し、その結果、豊信(容堂)が藩主に就いたがです。

幕末、倒幕へと傾いた時代、「坂本龍馬」が唱えた「船中八策」を、時の藩参政「後藤象二郎」は「山内容堂」に進言したがです。

「山内容堂」は、こりゃー妙案じゃと思うて、15代将軍「徳川慶喜」に建白し、結果として慶応3年(1867年)、「徳川慶喜」は朝廷に”大政奉還”したがです。

幕末と言う流れ中で、当時の志士達から、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄され、酒と詩を愛し、自らを「鯨海酔侯」と称したそうですき。

「時代」が彼を必要としたのかも知れんねー。


[ アクセス ]
・JR高知駅より徒歩約20分、車約5分、
・JR高知駅より市バス・路面電車で高知城前下車、徒歩5分

関連記事

  



1 Comments

ガバチャ  

初めまして

う~ん良いですね。最もドラマチックな幕末に土佐人が何を考えどう動いたか。時間など忘れてしまいます(^^ゞ

2008/03/30 (Sun) 13:54 | EDIT | REPLY |   

Leave a comment