開成門 - 西郷隆盛・大久保利通・木戸孝充も門をくぐる




[ 高知県高知市城北町・小津高等学校 ]


慶応2年(1866)に土佐藩が、九反田に富国強兵・殖産興業の目的に開成館を造ったがですが、その表門じゃったがが、この開成門ながです。

慶応2年(1866)言うたら、坂本龍馬は32歳。

薩長同盟を果たし、寺田屋で幕吏に襲われ負傷し、お龍さんと夫婦になり傷の療養も兼ねて薩摩へ新婚旅行に出掛けた年で、第二次幕長戦争で小倉口の戦いに長州側として参加したりと、龍馬に取って重要な年でもあった。

坂本龍馬や岩崎弥太朗が長崎で活躍ができた要因の一つにゃ、開成館と言う藩の後ろ盾があった事も事実・・・。

建設にゃ、吉田東洋亡き後の土佐藩を支えた後藤象二郎が関わっちゅうがです。

それが如何して、本来の場所から遠く離れた此処にあるか・・・。

経緯は、明治15年(1882)に開成館の跡に山内家の私学・海南学校が設けられ、正門として残ったがですが、昭和7年(1932)に城北中学校と合併して県立海南中学校となり、昭和15年(1940)15)年に、海南中学校の西門として此処・小津の地に移築されたがです。

戦後、高知小津高等学校と改名し、昭和44年(1969)に南国市の三和小学校の校舎に使用されちょった元の開成館の建物が、高知小津高等学校構内に移築された際、門も構内に移された。

文化財情報 有形文化財 建造物 開成門 - 高知市公式ホームページに書かれちょりました。

その後、平成12年に新校舎の完成と共に、現在の地に建てられちゅうようなが。


どうも説明書きにゃ、学校の門としての存在理由の方が表に出ちゅうけんど、そりゃー違うろー・・・。

オンチャン的には、元の開成館のあった九反田(現・九反田公園)に在ってこそ、歴史的にも意義が在ると思う。

それは下記の理由で・・・・。


開成館の在った、九反田公園

西郷木戸板垣三傑会合の地 - 東九反田公園 2008.12.19でも書いたけんど、九反田公園にゃ下のような西郷木戸板垣三傑会合地碑がある。


薩摩藩・西郷隆盛、長州藩・木戸孝允と土佐藩・板垣退助の三傑会合の地碑。


西郷・木戸・板垣会見場跡-高知市広報「あかるいまち」2007年11月号
土佐史研究家 広谷喜十郎


幕末に殖産興業等を目的の機関として開成館が建てられた。

明治維新後の新しい動向を受け、藩庁の中に開成司を配置したため、明治三年正月二十四日に開成館は外来客を接待する意味で「寅賓館(いんひんかん)」と名称が改められた。

明治二年の版籍奉還などの動きに見られるように、明治新政府は中央に権力を集中させるために、薩摩と長州に働き掛けを行った。

勅使・岩倉具視は明治三年十二月二十三日に鹿児島へ行き、勅書を島津氏に手渡した。

また、毛利氏には、翌年の正月八日に山口へ行き勅書を与えている。

その中で、勅使に同行していた薩摩の西郷隆盛、大久保利通、長州の木戸孝允は相談して、高知を訪れることを決定した

正月十六日、長州の雲揚艦で三人のほかに山口藩権大参事・杉孫七郎、薩摩藩士・池上四郎らとともに、三田尻港を出帆し、十七日に浦戸に入港した。

西郷は高知城下の豪商・浅井家に、大久保は湊屋横山家にそれぞれ宿泊している。

十八日に土佐側の大参事・板垣退助が宿泊先を訪問したことが日記に記されている。

平尾道雄氏の『土佐百年史話』(浪速社)によると、「同氏(木戸)は三年前の知人にして、昨年末をもっとも相往来、大いに時勢を察し皇国前進の事に着眼、藩政改革等もまた見るべきこと多し」とある。

また、「今日のこと余の説を陳じ問はずして直ちに相諾」と、板垣は木戸の意見にすぐに同調している。

寅賓館での正式の会談は、土佐側の権大参事・福岡孝弟や少数参事らを交えて行われ、高知藩は明治政府への親兵派遣を承諾した。

翌日には、高知藩知事の正式の許可を受けて、西郷らは二十一日に高知を離れている。

この動きは、明治二年の版籍奉還以来の重大な進行を意味するものであった。

そして、明治四年七月十四日に発布された廃藩置県令につながっていくのである。


このような日本の近代化の流れの中で、薩摩の西郷隆盛、大久保利通、長州の木戸孝允、土佐の板垣退助らの果たした歴史的役割の大きさを物語る舞台が寅賓館であった。


とあるように、歴史的にも重要な場所でもある。

それに、イカルス号水夫殺害事件で山内容堂とイギリス公使の通訳アーネスト・サトウが会談を行った地でもあるが。

因みにこの時、須崎に入港した薩摩藩船・三邦丸の船上にゃ、坂本龍馬もおった。

佐々木高行生誕地碑 - 龍馬と親交が深かった 2010.07.15

兎に角、山内容堂・後藤象二郎・ジョン万次郎・板垣退助・西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・アーネストサトウが、この門をくぐった事は事実なが。

そう言う意味でも、こじゃんと重要な歴史の生き証人じゃし、いっつも言うように本物の歴史的建造物が、此処に存在しちゅうと思うちょります。

現在、開成門は県指定の有形文化財とされ小津高校の傍らに保存され、また、九反田公園にゃ記念碑もあるけんど、それぞれに訪れる観光客も殆ど無いのが実情・・・。 

出来ることならば、三傑会合の地碑のある九反田公園の一角にもう一度移築し直してこそ、史跡としての価値が生きると思うがですけんどねー。


追記

明治10年当時の開成館本館


[ アクセス ]

・JR土讃線「円行寺口」駅下車 約490m 徒歩約7分
・JR土讃線「入明」駅下車 約600m 徒歩約9分
・土佐電鉄伊野線「上町一丁目」電停下車 約700m 徒歩約11分

MapFan地図へ
関連記事

  



2 Comments

オンチャン(とさっぽ)">

オンチャン(とさっぽ)  

Re: マメシバさんへ

オンチャン(とさっぽ)">

九反田公園の記念碑に明治10年当時の開成館本館の写真がはめこまれています。
記事の末尾に、写真をUPしちょきました。
なかなか重厚な造りの建物に見えますねー。

2010/09/01 (Wed) 22:15 | オンチャン(とさっぽ)さん">REPLY |   

マメシバ  

どんな建物だったんでしょ?
タイムマシンがあったらいーのになー

2010/09/01 (Wed) 19:21 | REPLY |   

Leave a comment