尾戸焼窯跡 - 開窯は名工・野々村仁清の門人とされる久野正伯




[ 高知県高知市小津町 ]


碑文にも刻まれちゅうように、野中兼山が執政の頃の承応2年(1653)8月、大阪高津の陶工・久野正伯を、土佐藩2代藩主・山内忠義が招き、此処、尾戸の小山に窯を開き、地名から尾戸焼と銘々されたようながです。

地名と言うても、本来は「小津」と言うがですが、おづが訛っておど「尾戸」となったがじゃそうです。

昔は、此処に小山があったと言うことのようじゃけんど、今は平地で面影はない。

この久野正伯と言う陶工は、伊万里で修行した人で、京都の名工・野々村仁清の門人じゃったそうながです。

藩主・山内忠義は出来栄えを誉め、自信も愛用し、将軍家への献上品や贈物にも用いたがじゃと。

原料の陶土は能茶山・石立山や奈半利や野根山に求め、釉薬は幡多郡など遠方より蒐集の手を延ばしたと言われちゅうようながです。

久野正伯が5年間土佐に居った間に、弟子に森田久右衛門や山崎平内などの多くの名工を輩出し、万治元年(1658)大阪に戻っちゅうがです。

その後は、森田久右衛門と山崎平内が尾戸焼を代々継承して行くがですが、他国の優れた焼き物に勝てず、文政3年(1820)藩は鏡川の南の能茶山に窯を移し、日用品としての焼物の製造に切り替えたがです。

現在でも、高知県伝統的特産品の一つ能茶山焼(尾戸焼)として受け継がれちょります。

尾戸焼窯元 土居窯
谷製陶所 尾戸焼 - 高知県伝承工芸協同組合
参考:「高知県の歴史」山本大 著




[ アクセス ]

・JR土讃線「入明」駅下車 約420m 徒歩約7分
・土佐電鉄伊野線「県庁前」電停下車 約650m 徒歩約10分
・土佐電鉄伊野線「グランド通」電停下車 約670m 徒歩約11分

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