脱藩の道 - 三嶋神社経由の道




[ 高知県高岡郡檮原町 ]


四万十川の支流の一つ、梼原川に架かる御幸橋を渡り、三嶋神社の手前を左の小高い山に登って行く道が、坂本龍馬・脱藩の道とされ、標識が建っちょります。

ただ、この道は、三嶋神社 - 脱藩の道と土佐七守護・津野氏に所縁の地 2010.05.25でも、チックと触れたけんど、坂本龍馬がこの道を登って行ったと言う確たる証拠はなく、信憑性にはかける。

この道を選定したと思われるのは、昭和63年(1988)に村上恒夫氏の韮ケ峠越え説が発表された以降に、梼原町の有志や教育委員会が、地元の町の脱藩道を調査した際の産物のように思われるけんどねー。

つまり、坂本龍馬・脱藩の道のルートの中に、三嶋神社も組み込んで、観光面からも見てもらおうと言う事じゃないかと・・・。

以前、高低さは約60m程の峠道じゃけんど、実際にこの道を登った時の印象は、チックと不自然に思うたがです。

道幅は狭いし、遠回りになるし・・・。

偶々、ネットをチェックしたら、格好の動画があったき、見て見いや!

A045坂本龍馬脱藩の道-3<六志士の墓から神幸橋、三嶋神社>

A046坂本龍馬脱藩の道-4<三嶋神社から峠の展望台>

A047坂本龍馬脱藩の道-5<峠の展望台から茶堂>


大きな画面で見るをクリックし、地図が表示されたら、右上のふきだし表のチェックを外すと、動画の中で歩いちゅう坂本龍馬・脱藩の道のルートが出ます。

下は、オンチャンが思う、坂本龍馬が通った思う道で、この通りに通ったとは言いがたいが、大よそこれに近いようなルートを取ったがじゃないかと思うちゅう。

大きな画面で見るをクリックしてもうたら、見えます。



①JA津野山を西に行き、梼原川を渡る。
・現在ある、もう一本南の橋と比較すると、川幅や水深、中州の有無を考えたら、当時、ここに橋が架かって居た可能性が高い。
②川を渡って南に進路を取り、川西路の方に抜ける。
・出雲神社のある南側は小高い丘になっちょって、昔は砦(城塞)があった場所で、現在は維新の門の有る場所。
・北側は、三嶋神社からの峠越えのルートになっちゅう山。
・つまり北側の山と、南側の小高い丘に挟まれたV字地で、峠道の可能性が大。

・国土地理院の2万5千分の1の地図で見よったら、峠道として利用されちょったがじゃないかと思うたがが切欠ですが・・・。

当時と今じゃ、道も変わっている可能性もあるし、橋が在ったのか無かったのか、あったとしたら何処に架かっていたか等、詳しゅうに調べた訳じゃのうて、単なる歩いて見た実感と地図からの推測です。

「だったら推測で書くな!」と怒られそうじゃけんど・・・(^^ゞ

兎に角、脱藩ルート自体も諸説あり、それぞれに信憑性の有無もあるわけです。

坂本龍馬にもし聞けたら、「どの道を、通ったか通らんかったか、そんなこたー大した問題じゃないぜよ。そんな事よりもっと、今のままじゃー日本の進みゆう道の方が心配じゃき・・・」と言われそうな気がする・・・(^^ゞ


[ アクセス ]

・JR高知駅もしくは須崎駅から「梼原」行きのバスが出ちょります。
   
高知高陵交通:時刻表「高知~須崎駅前~須崎(出)~杉の川~新田~檮原」線

MapFan地図へ
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment