近江屋跡 - 坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地




[ 京都府京都市中京区塩屋町 ]


坂本龍馬が、酢屋に寓居を始めたのが慶応3年6月24日以前(酢屋に投宿している旨を、乙女姉やん宛の手紙を書いた日)・・・。

何時かは定かじゃないけんど、その数ヵ月後にゃ、近江屋に移っちゅう。

近江屋は、土佐藩邸用達の醤油商じゃったき、そう言う知古から安心できる場所でもあったろうけんど、その間に何かあったがじゃろーか?

10月3日、土佐藩は大政奉還建白書を幕府へ提出。

10月6日、大久保利通・品川弥二郎・岩倉具視・中御門経之らが王政復古の方略を謀議し、討幕の密勅を画策。

      薩摩藩・大久保利通
      長州藩・品川弥二郎

      この謀議は、薩摩藩・西郷隆盛と長州藩・桂小五郎は周知の事だったのか? 

10月14日、徳川幕府「大政奉還」を上奏

10月15日、天皇が上奏を勅許し「大政奉還」なる

10月15日前後の暗殺される1ヶ月程前、薩摩藩の吉井幸輔が、坂本龍馬に身の危険を知らせる。

そいて、慶応3年10月18日の望月清平宛ての手紙にゃ「今いる近江屋が危ないき、樋口真吉に頼んで安全な隠れ家を探してくれ。(原本は坂本龍馬記念館が所蔵)」とある。

如何して、身の危機を訴えかけた相手が、同じ土佐藩の望月清平と樋口真吉じゃったのか?

土佐藩邸は、すぐ眼の前。

何故、土佐藩の後藤象二郎に相談しなかったのか?

何故、薩摩藩の西郷隆盛に相談しなかったのか?

薩摩藩・吉井幸輔は、何時・何処で・誰から、坂本龍馬の身辺が危ないと知りえたのか?

望月清平宛ての手紙は直ぐには届かなかったようで、当然、樋口真吉も対処出来ないうちに、11月15日近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺されたがです。

現時点では、東寺 - 鳥羽伏見の戦い・官軍の本営地 2010.08.07の書簡(コメント)の返信でも書いたけんど、岩倉具視の謀議が深く関わっちゅうように思えるがです。

全ての黒幕は、岩倉具視か・・・・!

暗殺説も、諸説あります。

実際、坂本龍馬暗殺は岩倉具視黒幕説もあるけんど、これもオンチャン的に考えた妄想と推測から出た、お話の一つです・・・。
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