archive: 2017年01月  1/2

久松喜代馬 - 土佐勤王党に146番目に加盟、井上佐一郎殺害で処刑

[ 高知県高知市東秦泉寺山 ]場所は、西真宗寺山の山の中にあります。久松喜代馬は天保5年(1834)に高知城下の東新町(現・高知市桜井町)の久松圓次重之の三男に生まれ、名を重和というがです。土佐では剣を麻田勘七に習うちょります。この麻田勘七と言う人は、土佐藩馬廻格・麻田利太夫の次男として高知城下に生まれ、勘七は通称で、麻田直養(あさだ なおもと)とう。 江戸で鏡心明智流の桃井春蔵直雄に剣術を学び、土佐じゃ千...

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庚申堂 - 山田氏と長宗我部氏との戦いで戦死した怨霊を鎮める

[ 高知県香美市土佐山田町秦山町3丁目 ]この辺りは、土佐の戦国時代に山田氏と長宗我部氏が戦い、多くの戦死者の屍が横たわっていたという場所だそうで、その怨霊達の祟りが、野中兼山が鏡野開拓の時に災いとして怪我人や病気になる者が続出したそうです。そこで、怨霊を鎮めるために、摂津国(現・大阪府大阪市)からここに「青面金剛像」を勧請し祀ったそうです。 土佐山田町史跡庚申堂の由来庚申堂は天王寺仏照山と号し、当町...

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北代健助 - 堺事件・九番目に切腹

[ 高知県南国市十市 ]写真は、堺事件十一烈士の一人・北代健助邸跡を示す史跡の標柱です。北代堅助は、天保4年(1833)に、長岡郡十市村(現・南国市)の土佐藩郷士の家に生まれちょります。郷士といっても、山内氏入国後の新田開発政策で郷士株を手に入れ、郷士格になっちょります。諱は堅勝、通称は堅介、健助とも書かれる。慶応4年(1868)、箕浦元章(猪之吉)の率いる警備隊の、折衝六番隊に属して摂州大坂・泉州堺の警備の任...

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